谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。

読むだけでは、情報の浪費になり、せっかくの情報を無価値にします。そこで、お読みいただいたら
[ワンマンカウンセラー・コース(人間関係の能力づくり)]
[お試しカウンセリング] [カウンセラー養成ゼミ] [ゼミ・イメージ切り替え法]
[脳の働き方から変える新・性格教育法] [入会案内]
のいずれかをクリックして、ごらんください。
なお、ご投稿は、「文章」に社会性があること、社会的責任が表現されていること、を基準にして受け付けます。

うさ子とクマ江の掲示板はこちら

[トップページ] [新規投稿] [タイトルリスト] [スレッド一覧] [内容表示] [使い方]
件ずつ ページ目 and or 検索

[次の10件>

[3779] ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ(9月2回目)のおもな内容をご案内します(全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ) 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/25(金)14:11
[3779-1] ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ(9月2回目)のおもな内容をご案内します(全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ) 谷川うさ子 2015/09/25(金)14:11
    ポルソナーレの9月2回めのカウンセリング・ゼミのおもな内容をご案内します


       日本人の最大の問題は「要介護」、
       「認知症」(痴呆症)だ。

       そして「年間2万5千人の自殺者」と
       20代、30代の若い世代の高い自殺率だ。

       さらに、小学生で増えている暴力沙汰、
       「いじめ」だ。

       これらに共通するのは、会話の時に
       「相手の顔、目を見ない」で「話す」、
       そして「聞く」、だ。

       とくに高齢者の「食事」のときに
       「顔を見ない」「目を見ない」、
       そして「自分の顔を見せない」だ。

       脳の働き方(言葉の生成のメカニズム)からみると、
       人間関係の能力を消滅させている。
       そして視床下部で「食べたい欲」の
       中枢神経を遮断して食欲不振に
       追いやる。

       「相手の顔を見ない」ことが、
       日本人の言語能力に見合って、
       「親」「子ども」「自分」を、
       日々、死の淵に追いやる。

       高齢者を処遇する「病院」
       「介護施設」「在宅で介助する人」に、
       今すぐ、「顔を見ろ」「目を
       見ろ」「相手の過去、未来の
       活動について一方的に話せ」と
       提言する。


■「カウンセラー養成ゼミ」(9月26日、9月29日)
◎おもな内容……………吉本隆明『情況への発言』による認知症(痴呆症)防衛

◎…………………………「老衰死」とは何か?顔を見ない、目を見なければ、中核症状が出て死に至る

◎…………………………高齢者を殺すには刃物はいらぬ。顔、目を見なくて食事をさせればよい。周辺症状が消えれば、7日以内に死んでいく。

■「ゼミ・イメージ切り替え法」(9月26日)
◎おもな内容……………吉本隆明『情況への発言』による認知症(痴呆症)防衛

◎…………………………NHKスペシャル「老齢死」

◎…………………………高齢者を殺すには刃物はいらない。子どもを死に至らしめるにも刃物はいらぬ。食事のときに顔を見ない、マスクをつけてラテックスの手袋をつけて食事をさせれば、周辺症状であがき、もがいて、やがて衰弱して死んでいく。
>> スレッド[3779]に返信

[3777] 読むだけで幸せになる手紙・「老衰死」はなぜ、起こるか? 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/22(火)16:59
[3777-1] 読むだけで幸せになる手紙・「老衰死」はなぜ、起こるか? 谷川うさ子 2015/09/22(火)16:59
          NHK・TV「NHK
       スペシャル」(平成27年9月20日)で
       「老衰死」を特集して
       放映していた。
       「老衰死」に至る人を
       取材していた。体の中の
       細胞、脳の細胞も
       ふくめて「再生されない
       こと」が機能の低下を
       招く、という主旨
       だった。
       生理学的にはそうかも
       しれない。
       だが、その「老衰」に
       至るまでとその経過は
       かなりの異常な
       ものだった。
       家族も施設の人も、
       医療者も、「老人」の
       「顔、目を全く
       見ない」のだ。

 「NHKスペシャル」(TV番組)の「老衰死」を観て気づくことがある。
 自宅にいる高齢者が食事を摂る場面で、ひとりでもくもくと食べている。誰も話しかけないし、誰も「老人」の顔と目を見て、「話させよう」ともしない。
 ここでは、人間の脳の「短期記憶」と「長期記憶」のうち、「短期記憶」の脳の部位しか働いていない。「高齢者」も「家族の人」も、だ。
 「短期記憶」とは、一般に考えられているように、「短い間しか憶えられないこと」のことではない。すぐに消えてなくなること、この現実に少しの間しか滞在しないものを憶えることをいう。
 哲学による正しい語義とは、こういうものだ。
 
 TVでは、施設の職員が「高齢者」の世話をする場面が取材されていた。食事の世話だ。
 職員は、白い大きなマスクをして、ゴム手袋をつけて、スプーンを持ち、食物を高齢者の口に入れていた。
 「だんだん食べる量が減っていますね」と言っていた。
 「これが衰弱死の始まりです」と医者は言う。
 試しに、家族の人の全員が「白いマスク」をつけて、ビニール手袋をつけて食事を運んで来て、「白いマスク」の目だけで見られる中で食事をしてみるといい。誰だって「衰弱」していくのではないか。生きた心地がするものか、どうかを、職員も施設の責任者も医療者も、試してみるといいのだ。

 見舞いに来た息子がいた。中年の男性だ。
 ベッドの中に寝ている老いた母親をベッドの側で見ている。
 顔に、大きな白いマスクをつけていた。
 声を聞けば自分の息子だとは分かるだろうけれども、お互いに、「顔も目も見ない」ので全く「認知の能力」が働かないのだ。
 
 「あなたは誰ですか?」と顔とか、名前を「忘れる」ことの方が、よっぽど人間らしい関わり方になる。
 このテレビの中に出てくる息子は、おそらく、風邪のウィルスかなにかを心配しているのだろうけれども、実の母親の「目で見る」ことの「感覚の知覚」を拒否して遮断している。すると、母親であることはもちろん、「生きている人間」であることも分からなくなる。
 これが「体験を忘れる」という認知症の中核症状なのだ。

[3777-2] 谷川うさ子 2015/09/22(火)16:59
    またべつの家族のケースがある。心優しそうな長男の母親が、衰弱してベッドの中にいる。どうも医療をかねた施設のようだ。
 起き上がれない母親に、心優しそうな男性(中年の男性だ)は、遠くアメリカに留学している子ども(男性)の写真を見せる。じっと見せつづける。一言、二言くらいは何かを言う。
 「あ、少し笑った、喜んだふうだ」とまわりの人に話しかける。

 ここでは、「見る」ことに共時させた「聴覚」(左脳の聴覚野・言語を聞く)が何も無い。
 すると、母親の脳の中では、虫の音とか風の音のようにしか、話されている言葉は聞こえない。山の中か、広い海の中に一人でぽつんと孤絶した状態になる。
 自律神経の交感神経が全く働かなくなり、無気力、不快感、苦痛感がつのって心身にダメージを受けるのだ。

 もし、この男性が、写真を見せながら「何をしている」とか「どういう活躍をしている」とか「アメリカの友だちはどうだと言っていた」と説明の話を、写真に対応させればどうなるのか。
 社会性のある会話ができるのだ。仮にどこかで死ぬにしても、「そういう人はいなかったも同然」という存在証明の記憶が残らないような死に方ではなくなる。「顔、目を見て話して、その人が生きていた」という共同と共生の中で、多くの人の心の中でなおも生きつづけるような「死に方」、「生き方」の技術を学習すべきではないか。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm
>> スレッド[3777]に返信

[3776] 読むだけで幸せになる手紙・日本人の認知症(痴呆症)の発症率は17パーセントの意味 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/22(火)16:17
[3776-1] 読むだけで幸せになる手紙・日本人の認知症(痴呆症)の発症率は17パーセントの意味 谷川うさ子 2015/09/22(火)16:17
          日本人の認知症(痴呆症)の
       発症率は
       17パーセントだという推計が
       あるらしい。
       この発症率が多いか、
       少ないかはともかく、
       30パーセントにも満たない
       から「自分とは関係は
       ない」と思う人は多い
       だろう。
       だが、「認知症」(痴呆症)は
       「中核症状」と「周辺
       症状」がある。
       狭義の「認知症」
       (痴呆症)と広義の「認知症」
       (痴呆症)の二つに
       分かれるのだ。


 厚生労働省の発表では、この平成27年3月時で「要介護者」と認定された人は、600万人だという。
 この「600万人」の人は、必ずしも全員が認知症(痴呆症)ではない。医者らが診断する認知症(痴呆症)とは、「体験を忘れる」という中核症状のことであるからだ。
 「さっきの食事を忘れる」「身近な人の名前や顔を忘れる」といったことが中核症状だ。

 では、「600万人の要介護と認定された人」は、全く認知症(痴呆症)ではないのか。
 独力で社会的な人間関係を保てない、社会的に適応する会話とか日常生活を行ないえない、ということには、「認知症」(痴呆症)の中核症状の「体験を忘れる」ということは無いのか?

 認知症(痴呆症)には周辺症状というものがある。この周辺症状は非常にたくさんある。
 とてもひとくちには言えない種類と量だ。一例をあげると「自分の妄想を根拠にして身近な人を攻撃する」「じぶんは、被害にあっていると強迫的に思い込んで他者を疑う」「作り話をしゃべる」(思いつきをしゃべる作話症)、「同じことをくりかえし、くりかえしおこなわずにはいられない常同症」といったことだ。
 これらの周辺症状にも「体験を忘れる」ということがある。「体験」とは、社会の中にある共通の決まりごと、約束ごと、法則性のことだ。

 すると、認知症(痴呆症)には、広義と狭義の二つがあることが分かる。
 周辺症状は、かならずしも高齢でなくとも、若い年齢から起こる。
 それこそ、山ほどある。
 いろんな人が、人それぞれにいくつもの周辺症状を現わしている。
 痴呆症(認知症)は、周辺症状をぞくぞくと現わし、それが「行動の止まり」という身体症状を現わすと、中核症状の目、耳、手などの「感覚の知覚」に「忘れ」が突出して、「経験」(さっきの食事、身近な人の顔や名前)を「忘れる」に至る。

[3776-2] 谷川うさ子 2015/09/22(火)16:17
    なぜ、こういうことが起こるのか。
 脳の働き方(言葉の生成のメカニズム)の考察にもとづいて説明すると、始まりは「会話のときに相手の顔、目を見ない」ことにある。
 この「相手の顔、目を見ない」ということの中にいくつかの構造がある。
 その構造は人それぞれというもので、特徴がある。
 この特徴の一つ一つが周辺症状を現わす。

 およそ母親、父親から「顔も目も見て話してもらえなかった人」そして「おまえはダメな奴だ」という主旨のことを言われた人は、「過食症」や「拒食症」という周辺症状をあらわす。
 人間関係から遠ざかり、他者と仲良くするということのできない人の「相手の顔、目を見ない」でソッポを向いて話す人は、親しい人の一人一人とことごとく対立して、自分も否定する。
 そして「短期記憶」による「行動の止まり」を起こして自死願望を抱く。

 今、日本も世界も、要介護、認知症(痴呆症)をこんなふうに研究している人は誰もいない。
 誰もが「原因は分からない」としか言わない。
 「分からない」のは、考察しようとしない理由と目的があるからだ。
 しかし、ポルソナーレは対策の基本を教える。
 「会話のときは、相手の顔、目を見て話す。そして相手の話を聞く」。
 これである。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm
>> スレッド[3776]に返信

[3775] 日本人の認知症(痴呆症)のつくられ方と対策を教えます!! 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/21(月)17:09
[3775-1] 日本人の認知症(痴呆症)のつくられ方と対策を教えます!! 谷川うさ子 2015/09/21(月)17:09
          第10ヵ月めの『谷川うさ子王国
       物語』(パート・Ⅳ)(実践
       実技・日本語講座、
       日めくり式プリント形式の
       テキスト)は、カリキュラムを
       変更して、日本人の
       認知症(痴呆症)の
       発生の原因と理由を
       説明します。
       そして、予防、改善の
       ための対策を教えます。


 ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、約40数年にわたって、人間の脳の働き方を研究して、心身の病気の改善や予防のために役に立つ対策を開発しています。
 ポルソナーレが研究している人間の脳の働き方とは、「人間は、どのように言葉を生成するのか?」についてです。
 そして、日本人の使う日本語は、脳の中でどのように働いているのか?についても解明しています。
 
 ポルソナーレは、「人間の脳の働き方」(言葉のつくられ方)をほぼ完全に解明しました。
 そこで、日本人の最大の問題である「要介護状態」「認知症」(痴呆症)の発生の機序(原因と理由からみたしくみ)の解明にとりくんでいます。
 
 このような研究と考察は、日本はもちろん世界のどこでもおこなわれていません。世界のどこでもおこなわれていないことの理由は、いろいろに推察されます。
 その最大の理由は、認知症(痴呆症)の原因や理由を研究しても、産業としての利益を追究するテーマにはなりえないからだと推測されます。少なくとも、目先の利益、巨大な資本を投下して大量の雇用を生み出すほどの中期の利益にはなりにくいと思われていることは確かです。
 それよりも、介護保険制度や薬を投与したり、あてどもなく薬の研究をつづけることの方が市場になりうると考えられていることはたしかです。

 しかし、だからといって、現在の医療制度や介護制度が、人間一般に対して悪意をもっているということではありません。経済や金融の動向によって、人間の脳の働き方が、人間のもつ「観念」とか「人間的意識」よりも、人間のもつ「自然性の領域」(生理的身体のことです)に大きくシフトして、「自然を優位に立てる」という思考の仕方が世界的な傾向になりました。そのけっか、人間の間に「心」「精神」といわれる領域に「病気」がものすごく大量に発生しました。
 これは、日本だけではなく世界的な傾向です。
 
 だから、「DSM・4」とか「DSM・5」といわれる診断マニュアルが広くいきわたり、「病気」に該当する「行動の止まり」の症状や社会問題は、全て、薬や施設、社会保障制度で自宅に閉じ込めて隔離されるようになったのです。
 こういう「病気」への対処の仕方を「疫学」(えきがく)といいます。

 日本と世界のこのような状況がつづく中で、ポルソナーレだけは、「人間の本質」の「観念」や「人間的意識」というものを対象にして、「病理」をふくめて社会問題を考察しつづけています。

[3775-2] 谷川うさ子 2015/09/21(月)17:09
    日本人にとって最大の問題は「要介護問題」「認知症の問題」(痴呆症)です。
 若い世代の半数以上の人は、「要介護」も「認知症」(痴呆症)も、「自分とは関係はない」と思っているようです。そういうアンケート調査があります。

 しかし、ポルソナーレの脳の働き方の考察からみると、「要介護状態」も「認知症」も、若い世代から起こっています。
 認知症の発症率は15パーセントであるということです。このときの「認知症」とは、「体験を忘れる」という中核症状をあらわす人のことをさしています。
 
 ところが、「認知症」(痴呆症)には「周辺症状」というものがあり「周辺症状」はものすごくたくさんあります。身体症状とか、妄想とか幻聴とか幻覚とか「行動障害」といわれるものです。
 この「周辺症状」がつづいて、ある日、パタッと行動が止まるときが「体験を忘れる」という中核症状の(認知症)になります。
 
 すると、認知症(痴呆症)は広義の認知症と狭義の認知症の二通りがあることが分かります。

 では、この「認知症」(痴呆症)の中核症状の「体験を忘れる」ということは何か?というと、ものごとの「客観」を「忘れる」という意味です。「客観とは何か?主観とは何か?」の説明は省略します。
 人間の脳には、「客観を憶える」「主観を憶える」という二つの領域があるということだけをご理解なさってください。

 日本人の場合は、この「客観」ということを学習しない(憶えない)ということをおこないます。
 それが「会話のときに人の顔、目を見ない」ということです。ふつうに考えてみるとよく分かりますが、人間は、ものごととかかわるときに、必ず「対象を見る」でしょう。
 自転車に乗るときは前方を見るでしょう。
 刃物を使うときは、その対象を見ます。
 しかし、ここでよく考えてみてほしいのですが、「ハシを使う」「ナイフを使う」「ハサミを使う」というとき、どういう使い方をしても行動は成立する、ということが起こります。

 たいてい機械や道具が代わりにおこなうことがあれば、正しい使い方などどうでもいいということが成立します。
 これと同じことが、「会話」の中でもおこなわれます。
 それが「相手の顔、目を見ない」という「話し方」「聞き方」です。
 「対象を見ない」ということが共通します。

 正しい関わり方で関わらないとき、会話の中では「客観」というものが学ばれない、学習されないということが起こります。
 
 「会話」の中でこれをおこなうと、広義の認知症の「周辺症状」がつくられるのです。
 「つくり話をする」「異常行動をする」(入浴しない、そうじをしない、片づけをしない、ゴミをためこむ、など)、が広義の認知症の「周辺症状」です。

 ポルソナーレの考察では、会話のときに「人の顔、目を見ないで話す、聞く」ということが、狭義の認知症の出発点であり、到達点です。

 ポルソナーレのこの考察にもとづき、対策を実行した人は、誰もが驚く効果をあげています。
 実行すると辛く感じる人もおおいとは思いますが、しかし、効果は明確です。ぜひ、お試しになってみてください。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm
>> スレッド[3775]に返信

[3774] 読むだけで幸せになる手紙・日本人の認知症(痴呆症)は、「内扱い」の尊大(イバり)が原因である 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/15(火)19:48
[3774-1] 読むだけで幸せになる手紙・日本人の認知症(痴呆症)は、「内扱い」の尊大(イバり)が原因である 谷川うさ子 2015/09/15(火)19:48
          報道によれば、政府は、
       認知症対策を強化
       するという。「新オレンジ
       プラン」というのらしい。
       認知症が疑われる人を
       MRI(磁気共鳴
       画像装置)を
       用いて診断し、早期の
       治療、介護に
       つなげるのが内容だ。
       国の医療費抑制が
       課題だというが、
       認知症(痴呆症)の
       改善には関心はない。
       そこで、ポルソナーレだけが
       正しい改善策を
       教える。


 仕事の中では、会議がある。
 仕事の打ち合わせとか、プロジェクトの説明だ。
 ここで、資料があっても、スクリーンなどで説明の図が表示されても、「せっせ、せっせとノートに聞きながら説明の言葉を書き取る」「せっせと、パソコンなどに聞いた言葉を入力する」ということをおこなう人がいる。
 これが「聞き書き」だ。
 結論をいうと、この「聞き書き」が、やがて「認知症」をつくる脳の働き方の原因になる。

 学校の授業も同じだ。
 学校の教室で、授業として教師が話すことを「せっせ、せっせとノートに聞き書き」をすると、一見、熱心に勉強しているようには見えるが、脳の働き方と言葉の本質から見ると、そういうことはない。

 ここでは、自分の目と耳の「感覚」が「知覚」した中の言葉を、「自分が選別したものを拾って書く」ということをおこなっている。
 「目で見る」(耳で聞くことも)ことの中身の「感覚の知覚」の「認知」ということが全く不問にされている。
 こういう聞き方(目で見る見方)のことを日本人は「内扱い」と呼んでいる。
 
 「内扱い」とは「貴様」(尊い方)をキサマ、オノレ、キッサマ、このヤツめ、ともともとの言葉の秩序をブチ壊すことだ。
 そして自分の欲と感情に一致する言葉に作り変えて、自分の行動を成り立たせることをいう。

 「キサマ!!」とののしり語として言い表すように、相手を支配する。尊大にふるまい、イバって、このイバりを仕事の中でも、社会でも適用させようとすることである。

 日本人の内扱いは、大正時代に増えて、昭和になって一般化し、戦争を起こし、日本の国を滅ぼしかけた。
 「内扱い」は、「御前」(神様の御前)を「オマエ」「テメエ」「テメエら」「オマエ、このやろう!」と言葉のもつ意味、文法上のルールを壊して喜ぶことをいう。
 内扱いは「親愛」のことだと思う人も多いが、本質は、「尊大にふるまい、人を脅し、自分の行動を押しつけること」である。

[3774-2] 谷川うさ子 2015/09/15(火)19:48
    だから、言葉の意味をいちいち辞書で調べることを「めんどうだ」と拒否して、「自分のカンで適当に言葉をつかう」ことを行動の旨とする。
 これが認知症(痴呆症)の本質の「体験を忘れる」ということの実体である。

 「入浴しない」「食事をしない」「ベッドから起きない」人の言葉は、それぞれ「尊大語」によって拒否されているだろう。
 交感神経が働かないと生化学物質のセロトニン、アセチルコリン、ヒスタミン、プロスタグランジンなどが、「行動の秩序」を壊す不快と喜びをつくるから「客観の秩序」を壊すことは、「内扱い」の本領をあらわす。

 政治家も医療関係者も、新聞などのメディアの人も、そして、介護関係者も、こんなことはとっくによく分かっていることなのだ。
 だから、MRIなどという自分の利益(欲)につながることを行動に現わし、支配につなげる。これも尊大(イバり)というものだ。今の日本人の多くはこんなふうな脳の働き方を共通のものにしている。

 「治したい」と思った人に、脳の働き方から見たアドバイスをおこなった。
 三ヵ月間ベッドから動かなかった人が、今では外出し、外食をして、銭湯にも行っている。
 正しくかかわれば認知症は回復するのだ。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm
>> スレッド[3774]に返信

[3773] 読むだけで幸せになる手紙・認知症(痴呆症)を予防、改善したいなら「聞き書き」を止めることだ 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/15(火)13:58
[3773-1] 読むだけで幸せになる手紙・認知症(痴呆症)を予防、改善したいなら「聞き書き」を止めることだ 谷川うさ子 2015/09/15(火)13:57
          ポルソナーレは、日本人の
       認知症(痴呆症)の
       発生の機序(しくみ)の
       全解明と対策を
       きりひらいている。
       分かったことは、これまで
       誰もが全く理解しなかった
       ことだ。
       「知的」に仕事に取り組んで
       いる人の原因は、
       「聞き書き」だ。
       認知症(痴呆症)は、
       内扱いの「尊大」から
       始まる。


 ポルソナーレは、長い間、人間の脳の働き方を考察してきている。
 脳の働き方の基本は、「言葉」の生成のメカニズムのことだ。
 今の現代は、テクノロジーを使った「人工知能」の実用化と産業化が関心事だから、「人間の意識」とか「人間の行動」というものを正面から考えようという人は、どこにもいない。
 
 だが、人間の脳の働き方は、「人類」がつづくかぎり、人間にとっての本質である。
 「人工知能」がどれほど性能を高くしても、ここで得られる利益は、「人工知能」に関わり、所有し、利権をもつものだけに限られる。
 多くの人は「人工知能」の利用の代価を支払うだけの立場になる。
 ポルソナーレの考察では、「人工知能」とそのもともとのテクノロジーの通信技術は、通信速度に本質がある。画像や文字、文を画面(ディスプレー)に固定的に表示してみせつづけるというのがテクノロジーだ。

 人間の脳の「右脳」の『実像』(目の感覚と、この感覚の知覚を『認知』につくる視覚の領域)の自律神経の交感神経が働く層がある。ものごとの「客観」を「知覚」し、そして「認知」する。

 通信技術は、「見る人」がいればお金になるから、ありとあらゆる「情報」をディスプレーに表示させる。
 ウソも本当も、娯楽も犯罪も、病気も事実も、全てだ。
 問題は、画面(ディスプレー)に表示させて、「人間の目に見せる」ということにある。

 人間の脳につながる「目の働き」は、ものごとの現実や事実の中のルール、きまり、約束と、その「言葉」を見なくなる。テクノロジーにお任せして、与えられたものを受けとり(見ること、聞くこと)、与えられたとおりに「分かった」と思い「嬉しがり」、「人にしゃべり」、そして「行動する」。これを従属という。依存とは、隷属の言い換えでもある。

[3773-2] 谷川うさ子 2015/09/15(火)13:58
    ある女性の話だ。中学生の女の子がいる。この女性の子どもだ。
 母親である女性が、あれこれと生活のこととか人間関係のことを説明して、教える。しかし、中学生の女の子は、母親の言うことを聞かない。いちいち否定する。「ちがうよ」「まちがっているよ」と言い返すのだという。
 「なぜそんなことを言うの?」と問うと、「ツイッターで言っていたよ」。
 インターネットの「情報」が正しいのか?間違っているのか?が問題であるのではない。日常の中の人間関係や社会的な関係が壊れていることが問題になる。この中学生は母親に対して「尊大」にふるまい「イバり」、「見下し」ている。テクノロジーに依存している。すっかり従属している。

 人間の目と耳は別々の場所にあるが、脳の中では隣接していて、共時して働いている。
 「右脳・実像」(目の視覚の感覚と知覚の二つの働きをつくる)の中で、「客観の部位」をテクノロジーが占領すると、人間の「左脳の言語野」の「聴覚野」(左脳・側頭葉)もテクノロジーに占領される。

 すると、ごくふつうの言葉のもつ決まりごと、言葉で言い表すルール、言葉のもつ社会性が聞こえなくなる。
 完全に止まるのだ。
 社会生活、人間としての共同や共生の生活を生きていくことはむずかしくなる。
 駅のコンコースの人混みの中をスマホを持ち歩いて、見ながら歩くのを止めたくない人とは、そういう人のことだ。

 前置きのつもりの説明が長くなったが、ここからが本題だ。
 パソコン、スマホ、デバイスなどの画面(ディスプレー)への依存というテクノロジー依存と全く同じ脳の働き方をおこなうのが、仕事、学校の勉強の中の「聞き書き」である。
 「聞き書き」とは、説明する人の話を「せっせ、せっせとノートに書き取ること」だ。パソコンとかデバイスにせっせ、せっせと入力しつつ聞く人もいる。
 「ものを見る」という眼と自律神経の交感神経は働いていない。「ノート」「パソコン、デバイスの画面」だけを見る。
 「眼」は「副交感神経優位」になる。
 ここでは、眼の交感神経がつくるゲシュタルト形態原理の認知は止まる。
 「目で見る」という「感覚」のみが働いている。
 目の働きの「認知」という内容は、積極的に放置されて、拒否されている。

 日本語は、已然と未然にもとづいて文を構文とする。これは、「外扱い」「内扱い」をつくる。
 外扱いとは「貴様」「御前」を「尊い方」「神様の御前」と、共同の規範として扱い、言い表すことだ。
 内扱いとは、「貴様」をキサマ、このヤロウ、キサマ、ともともとの正しい秩序をガチャガチャに好きなように壊すことだ。
 「御前」をオメエ、オマエ、テメエ、オメエって奴、と同じように自分の欲にもとづいて適当に作り変える。
 この壊した意味のとおりに「言い表す」「行動する」ことだ。
 自分の好きなようにつくり変えて憶えて、これを言葉にして、行動にもあらわす。
 「行動」が成功することもある。試験に合格する、などだ。多少失敗しても仕事は成り立つ。
 すると管理職になることもある。内扱いの尊大でイバり、押しつけるから有能な管理職のようにも見える。

[3773-3] 谷川うさ子 2015/09/15(火)13:58
    認知症(痴呆症)とは「体験を忘れることだ」といわれている。「さっき食べた食事という経験も忘れる」。
 体験とは、他者と共通する行動のことだ。経験とは、身近な人と共有する秩序性のある行動のことだ。

 それは、「貴様」を「キサマ」と秩序破壊することがつくる「体験の忘れ」と同一である。
 「御前」を「オマエ」「オメエ」「テメエ」とののしり語に変えて、尊大にイバり、相手を支配する「内扱い」がつくる「体験の忘れ」と同じことである。

 この「内扱い」の尊大(イバり)がミスをつくり、仕事を失敗させ、損害をつくって責任をとらせられるか、責任におびえるときの行動が「認知症」(痴呆症)なのである。

 「聞き書き」を止めた人は、認知症状態から回復している。その効果は驚くべきものだ。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm
>> スレッド[3773]に返信

[3772] ポルソナーレの9月1回目のカウンセリング・ゼミをご案内します。(平成27年9月11日、全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ) 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/11(金)14:25
[3772-1] ポルソナーレの9月1回目のカウンセリング・ゼミをご案内します。(平成27年9月11日、全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ) 谷川うさ子 2015/09/11(金)14:25
    ポルソナーレの9月1回目のカウンセリング・ゼミの日程とおもな内容をご案内します。

       ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、
       日本人の共通の問題の要介護状態、
       認知症(痴呆症)に焦点を
       あてている。
       脳の働き方からみた発生の原因と
       対策を解明して、予防と改善に
       とりくんでいる。
       大きな原因は、人と話すときに
       「相手の顔も目も見ない」ことだ。
       これを止めることが対策の基本だ。
       もうひとつは、仕事、学校の中で、
       「聞き書き」を止めることだ。
       これをおこなうと非常な「尊大」の
       イバリに変わる。
       やがて、分裂病になる。
       ここから認知症(痴呆症)まで
       最短距離にある。

●「カウンセラー養成ゼミ」(9月12日、9月15日)

 日本人の認知症(痴呆症)は、人の目を見ない、人の顔を見ないことがきっかけである。
 脳の中の目の機能は「感覚」と「認知」の二つで二重になっている。このうち「感覚の知覚」のみが働いて、「目の知覚の認知」は止まっている。人の声、話は「右脳・聴覚野」が「虫の音」「風の音」「犬の鳴き声」のようにしか聞かない。
 するとどうなるか?白内障、緑内障、突発性難聴になるだろう。聞く相手がいない、ひとり言のようにしゃべる相手がいない。このときが要介護状態になるのだ。
 対策は、最小限、「相手の顔、目を見て話し、聞くこと」だ。

●「ゼミ・イメージ切り替え法」(9月12日)
 
 日本人の認知症(痴呆症)のつくられ方の全解明である。
 日本人は「内扱い」ということをおこなう。
 内扱いとは「貴様」(尊い方)を「キサマ」とののしり言葉に変えることだ。「御前」(神様の前)を「オマエ、テメエ」とイバリのののしり語に変えることだ。
 
 つまり内扱いとは、イバッて、社会の中とか家の中、人間関係を優位に仕切ることだ。
 だから、仕事の中、学校の中で「聞き書き」をする。自分が気に入ったものを書いて、自分がレクチュアした気になる。「人のものは自分のもの」というわけだ。ここではありとあらゆることを壊すからそれが喜びになる。

 ひとりでイバり、ひとりで尊大になるときが認知症(痴呆症)なのである。このタイプの人は要介護状態になっても尊大にしゃべっている。

 月35万円とか55万円とかの「介護費用」を恐怖と思えば、今からポルソナーレの教える対策を実行した方がいい。
>> スレッド[3772]に返信

[3771] 読むだけで幸せになる手紙・認知症状態の人を正常な状態にする話し方 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/08(火)13:51
[3771-1] 読むだけで幸せになる手紙・認知症状態の人を正常な状態にする話し方 谷川うさ子 2015/09/08(火)13:51
          家の中で痴呆状態に
       なっていく人は多い。
       直接の理由やきっかけは
       その人それぞれの
       事情というものだ。
       だが、脳の働き方から
       みた真の原因は、
       家の中の人、介助者、
       ヘルパーなどが、その
       当事者の「顔」「目」を
       見ないで話すこと、
       にある。
       少しでも回復させようと
       いう慈悲があるの
       ならば、「顔」「目」を
       見て思いを語って
       みるのはどうか。


 わかりやすい事例をあげる。
 ある若い母親の話だ。
 「最近、4歳の男の子がわたしの言うことを聞きません。遊びのことで、こういうことをすると危ないのよ、してはいけません、と言うと、わざわざ危ないことをするんです」。

 そこで尋ねてみた。
 尋ねるとは、手がかりをつかんでものごとの道程を明らかにするということだ。
 「子どもに注意したり、説明するときに、子どもの顔と目を見ながら話していますか?」

 そういえば、とその母親は言う。子どもの顔も目も見ていません、と答えた。
 「わたし、笑い声を出しながら話すんです。なぜでしょうか?ぜんぜんおかしくもなんともないのに。昔からの癖なんです」。

 この女性の夫も子どもと話すときに、子どもの顔も目も見ない。
 「夫は、わたしと話すときにも、横を向いてしゃべるんです。
 変だなという思いはあるのですが、それがなぜよくないのかが、分からないままだったんです」。

 この女性に、子どもと話すときはかならず「顔」と「目」を見て、「笑い声を出さない」で話すことを実行してもらった。
 効果は一週間で現われた。
 「子どもは、泣く、叫ぶということをしなくなりました。危ないこととか、間違った行動などはしなくなりました。
 素直な聞きわけのいい子になりました」。
 夫も、ポルソナーレのアドバイスする「顔」と「目」を見ながら話すということを聞き入れているという。
 「わたしも、笑い声は出さずに、笑顔で話を聞いています。顔と目を見ながら聞くと、頭の中がすっきりします」。

[3771-2] 谷川うさ子 2015/09/08(火)13:51
    人間は、生まれてから1歳半くらいの年齢になると「指さし」ということをおこなう。
 まだ言葉を話せない1歳半のころに、遠くの物を見て、その物に向かって人指し指をピンと伸ばして指し示すのだ。そして親の顔をじっと見る。
 この「指さし現象」は、幼児教育の専門家の間でも謎とされている。しかし、おこなわれていることは分かる。
 「共同指示」といわれている。
 
 母親でも父親でもいいが子どものこの「指さし」に正しく反応する。
 「あれはスズメよ」。
 「あれは猫よ」。
 「あれは、電車だよ」。
 子どもは、言われた言葉を耳で聞き、そしてじっと見る。
 スズメ、猫、電車が見えなくなるまでじっと見ている。
 この「共同指示」は、やがて、子どもが、母親の見ている物に注目する、というように発達する。これは「共同注意」と呼ばれている。

 脳は、「言語野」と「感覚野」の二つでつくられている。
 「言語野」とは、左脳、右脳ともに「ブローカー言語野」だ。前頭葉にある。
 「感覚野」は「実像」といわれている部位だ。「実像」とは光学用語だ。「右脳」にある。前頭葉だ。

 「実像」とは、光学用語があらわすとおり、「目」の「感覚」と「知覚」がものごとの「認知」のために働くところである。
 「実像」は、「客観」「主観」の二つの働きをつくり出す。
 
 1歳半の幼児の「指さし」(共同指示)は、「実像」の「客観」をつくり出す脳の働き方である。
 哲学のげんみつさにもとづいていうと「指さし」は「感覚」による知覚である。
 「あれはスズメよ」。
 「あれは猫よ」。
 「あれは電車だよ」
という言葉は「実像」の中の「視覚の知覚の内容の認知」なのである。
 「目」の視覚は、「感覚」と「知覚」の二つで二重になっているということを説明している。

 母親が「子どもの顔も目も見ないで話す」というのは、子どもの脳の中で「目」(耳も)の「感覚」は働いても、「目」(耳も)の「知覚」と「認知」が働かなくなるということだ。
 ちょうど「厚いガラスの眼鏡」をかけた状態になる。物の形もしくみも、置かれている前後関係も全く分からなくなる。これが「知覚と認知の喪失」だ。
 子どもは不安いっぱいになるだろう。

 多くの日本人は、人と話すときに「相手の顔も目も見ない」という話し方をする。原因は、尊敬語や謙譲語(形)のルール、法則を知らないことにある。「人の話を笑い声を出しながら聞く」「人に笑い声を出しながらしゃべる」という女性は典型である。
 すると、母親から「顔も目も見ない」で話された子どもの脳の働き方と同じになる。

[3771-3] 谷川うさ子 2015/09/08(火)13:51
    家の中、もしくは、身近に「認知症」(痴呆症)と思われる人がいる人は、改善の仕方の対策として「顔、目」をしっかり見ながらくりかえし、くりかえし話すということを試みられよ。
 必ず、効果があらわれると信じてよい。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm
>> スレッド[3771]に返信

[3770] 仕事の中で要介護、認知症(痴呆症)にもっとも近い人 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/04(金)13:48
[3770-1] 仕事の中で要介護、認知症(痴呆症)にもっとも近い人 谷川うさ子 2015/09/04(金)13:48
          日本の企業の中で
       心の病で仕事を
       休んでいる人は10%だ。
       神経科に通って
       薬をもらって服用しながら
       仕事をしている人も多い。
       どういう人がこういう
       事態に陥るのか。
       上司の話、会議、
       打ち合わせの中で、
       「せっせとノートに聞き
       書きをする人」だ。
       パソコンやデバイスに
       入力しながら「聞く」
       という人は、明日にも
       休職するリスクを
       抱えている。


 仕事の中で「せっせ、せっせとノートに聞き書き」をする人は、目は、「ノート」を見ている。耳の聴覚は「右脳の聴覚野」しか働かない。人の話を聞くのは「左脳の聴覚野」だ。
 「せっせ、せっせとノートに聞き書きをする人」は、右脳の聴覚野で、話す人(上司、仕事の中の説明者、学校の教師など)の話す言葉を「虫の音」とか「風の音」のようにしか聞けない。
 
 「視覚」と「聴覚」は、脳の中で共時して働いている。
 ほとんど同時に、別々の場所でありながら連動しているように働いているということだ。

 「ノート」や「パソコン」、「デバイス」などを見ながら人の話を聞いている人は、「左脳」ではなくて「右脳」の聴覚野が働いている。

 「左脳」が言語野だ。
 「右脳」は言語野ではない。「右脳・聴覚野」は、人間の話す「言葉」は聞かない。
 
 「せっせとノートに書いているじゃないか。これは、説明している人の言葉を聞いて書いているのではないのか?だったら、人間の話す言葉を聞いていることになるのではないか?」と思う人は多いだろう。
 ところが、それが違うのだ。

 「右脳の聴覚野」の働きを説明する。 
 「視覚」は「ノート」を見ている。このときの視覚の神経経路は、後頭葉から「右脳の頭頂葉」に届く。感覚の働きを働かせるのだ。「見る」という「視覚」は「右脳・実像」の「視覚の見るという感覚」のみを働かせる。「見る」という「感覚」の中身の「知覚」(認知)には関与しない。この「見る」という「感覚の知覚」(認知)を働かせるのは、「左脳・頭頂葉」(左脳の視覚と聴覚)なのである。

[3770-2] 谷川うさ子 2015/09/04(金)13:48
    「せっせ、せっせとノートに聞き書きをする人」は、「右脳・聴覚野」「右脳・頭頂葉」しか働いていない。すると「右脳・実像」は「見る」という器官の「感覚」しか働いていない。だから「右脳・聴覚」は、説明する人の言葉の中で、「自分に分かる餞別した言葉」しか聞こえないし、聞けない。もっというと、自分の大脳辺縁系の中の扁桃核が「好き」と価値決定した言葉しか聞けないし、聞こえてこない。自分の「性の欲」に見合う言葉しか聞こえてこない。

 すると、「分かった」という気になるだろう。自分の欲求の感覚に見合った言葉を「ノート」に書くので、あたかも自分が「しゃべった感じ」になる。だから「分かった、分かった」と思うのだ。
 上司が「質問する」と「分かりません」と言う。
 「こういうことを説明したよね」と言うと、「憶えていません」と言う。
 
 「何か質問はありませんか?」と問うと、「質問はありません」と答える。
 これは、目、耳の感覚がつくる「知覚」という中身にかかわることは記憶されていないということだ。
 熱い、冷たい、重い、軽いといった「感覚」にかんすることだけが記憶されている。だから「説明の言葉」の発言なり、発語なりは知覚したが、その内容の「認知」のことは憶えられていないという脳の働き方がおこなわれている。

 こういう「見方」「聞き方」は「白内障」や「緑内障」をつくる。目の自律神経の交感神経が働いていないので血流障害が起こる。
 すると、「右耳」(左脳・聴覚野)が止まって、「突発性難聴」が起こることもある。
 
 この「白内障」「緑内障」の目の働き方の延長に「要介護状態」や「認知症」(痴呆症)がある。
 対策は、「仕事」(学校の授業も)の中で説明を聞くときに「せっせせっせとノートに聞き書きをする」ことを止めることだ。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm
>> スレッド[3770]に返信

[3769] 読むだけで幸せになる手紙・要介護、認知症(痴呆症)に近づいている人の話し方 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2015/09/04(金)10:52
[3769-1] 読むだけで幸せになる手紙・要介護、認知症(痴呆症)に近づいている人の話し方 谷川うさ子 2015/09/04(金)10:51
          NHK・TVの「NHK
       スペシャル」で「老後破産」
       「漂流する老人社会」が
       放映されていた。
       取材されていた老人、
       その子ども(40代、50代)の
       「話し方」に特徴がある。
       誰も気がつかず、
       問題にもしないが、
       「話し方」に「行動の
       止まり」があらわれている。


 要介護状態とは何か?というと、ひとくちにいえば「行動の止まり」だ。
 NHK・TVの「NHKスペシャル」の「老後破産」「漂流する老人社会」の番組を観るとそれがよく分かる。

 日本はもちろん、世界のどこでも「人間の脳の働き方」(言葉の生成のしくみのこと)を研究したり、考察する人は一人もいない。
 ポルソナーレだけが40数年間、とりくんでいる。
 吉本隆明の「個体・家族・共同性としての人間」(『情況への発言』徳間書店)やハンナ・アーレントの『人間の条件』(ちくま学芸文庫)の哲学の考察を継承して追究しているのだ。

 演繹による証明と証拠をあげて全解明したのが「人間の認知症(痴呆症)はなぜ起こるのか?」の原因と理由である。
 くわしい説明は、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミを系統立てて学習してもらうことが可能だ。

 結論は、要介護、認知症(痴呆症)の原因は、アルツハイマー病とか脳血管性の痴呆といわれているが、この考え方は誤りだ。
 原因は、「なぜアルツハイマー病になるのか?」「なぜ、脳血管性の痴呆になるのか?」にある。
 その原因は「分からない」といわれている。

 ポルソナーレは、要介護、認知症(痴呆症)の発生の機序(しくみ)を全解明した。
 「人の話を聞くときに、相手の顔も目も見ない」「人と話すときに相手の顔、目を見ないでしゃべる」ということが原因の一つだ。

 あなたは、台所で野菜をほうちょうで切るとき、切る対象の野菜を目で見るだろう。下を向くとか、ソッポを向くとか、天井を見ながら切ることはしないだろう。

 「話すときに相手の顔を見ない、相手の話すことを顔を見て聞く、目を見て聞く」ということをしない人はものすごく多い。これが異様だとか、異常だとかは誰も思わない。この「思わない」ということが日本人に共通する脳の働き方の異常なのである。
 この脳の働き方が要介護、認知症(痴呆症)をつくる原因なのである。

[3769-2] 谷川うさ子 2015/09/04(金)10:52
    相手の顔、目を見ないでしゃべることは、「ひとり言」なのだ。会話というものではない。コミュニケーションといったものではない。
 本人も、会話をしているという自覚はない。相手も自分も、ぺちゃくちゃと「ひとり言」を自分勝手に、しゃべる。自分の話を聞いてもらっていると思っている。
 なぜ、こういう不思議なことがおこなわれているのか。

 NHK・TVの「NHKスペシャル」「漂流する老人社会」「老後破産」の話にもどると、「人間の脳」の中につくられている「共同体」とか「共生」という構造を壊して、ドーパミンを分泌するという「脳の快感原則」が目的になっている。

 「NHKスペシャル」の中の親も子も、自分の脳の中の「共同体」「共生」というしくみを壊しているから「人に助けを求めない」「他者にアドバイスなり支援を求めない」で、行動が止まるままのなりゆきに身を任せている。

 「要介護状態」も「認知症」(痴呆症)も、脳の働き方からみると「行動の止まり」が本質である。
 対策は「会話のときは、相手の顔を見る、相手の目を見る」そして、「話せ」「聞け」である。

 とくに「老人と話す」「子どもと話す」「心身の不調の人と話す」という時は、「顔」「目」を見て話す、相手の話を聞くと、健康状態が改善する。
 辛くても、きつくても、しばらくガマンして実行すると効果が実感できる。子どもも老人も、心の病の人も、元気で明るくなるのがよく見てとれるはずだ。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm
>> スレッド[3769]に返信


<前の10件]


新規投稿
名 前
アイコン
 色 
内 容


[2025/11/18 19:35] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子