[3771-2] 谷川うさ子 2015/09/08(火)13:51 修正時間切れ
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人間は、生まれてから1歳半くらいの年齢になると「指さし」ということをおこなう。 まだ言葉を話せない1歳半のころに、遠くの物を見て、その物に向かって人指し指をピンと伸ばして指し示すのだ。そして親の顔をじっと見る。 この「指さし現象」は、幼児教育の専門家の間でも謎とされている。しかし、おこなわれていることは分かる。 「共同指示」といわれている。 母親でも父親でもいいが子どものこの「指さし」に正しく反応する。 「あれはスズメよ」。 「あれは猫よ」。 「あれは、電車だよ」。 子どもは、言われた言葉を耳で聞き、そしてじっと見る。 スズメ、猫、電車が見えなくなるまでじっと見ている。 この「共同指示」は、やがて、子どもが、母親の見ている物に注目する、というように発達する。これは「共同注意」と呼ばれている。
脳は、「言語野」と「感覚野」の二つでつくられている。 「言語野」とは、左脳、右脳ともに「ブローカー言語野」だ。前頭葉にある。 「感覚野」は「実像」といわれている部位だ。「実像」とは光学用語だ。「右脳」にある。前頭葉だ。
「実像」とは、光学用語があらわすとおり、「目」の「感覚」と「知覚」がものごとの「認知」のために働くところである。 「実像」は、「客観」「主観」の二つの働きをつくり出す。 1歳半の幼児の「指さし」(共同指示)は、「実像」の「客観」をつくり出す脳の働き方である。 哲学のげんみつさにもとづいていうと「指さし」は「感覚」による知覚である。 「あれはスズメよ」。 「あれは猫よ」。 「あれは電車だよ」 という言葉は「実像」の中の「視覚の知覚の内容の認知」なのである。 「目」の視覚は、「感覚」と「知覚」の二つで二重になっているということを説明している。
母親が「子どもの顔も目も見ないで話す」というのは、子どもの脳の中で「目」(耳も)の「感覚」は働いても、「目」(耳も)の「知覚」と「認知」が働かなくなるということだ。 ちょうど「厚いガラスの眼鏡」をかけた状態になる。物の形もしくみも、置かれている前後関係も全く分からなくなる。これが「知覚と認知の喪失」だ。 子どもは不安いっぱいになるだろう。
多くの日本人は、人と話すときに「相手の顔も目も見ない」という話し方をする。原因は、尊敬語や謙譲語(形)のルール、法則を知らないことにある。「人の話を笑い声を出しながら聞く」「人に笑い声を出しながらしゃべる」という女性は典型である。 すると、母親から「顔も目も見ない」で話された子どもの脳の働き方と同じになる。 |
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