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NHK・TV「NHK スペシャル」(平成27年9月20日)で 「老衰死」を特集して 放映していた。 「老衰死」に至る人を 取材していた。体の中の 細胞、脳の細胞も ふくめて「再生されない こと」が機能の低下を 招く、という主旨 だった。 生理学的にはそうかも しれない。 だが、その「老衰」に 至るまでとその経過は かなりの異常な ものだった。 家族も施設の人も、 医療者も、「老人」の 「顔、目を全く 見ない」のだ。
「NHKスペシャル」(TV番組)の「老衰死」を観て気づくことがある。 自宅にいる高齢者が食事を摂る場面で、ひとりでもくもくと食べている。誰も話しかけないし、誰も「老人」の顔と目を見て、「話させよう」ともしない。 ここでは、人間の脳の「短期記憶」と「長期記憶」のうち、「短期記憶」の脳の部位しか働いていない。「高齢者」も「家族の人」も、だ。 「短期記憶」とは、一般に考えられているように、「短い間しか憶えられないこと」のことではない。すぐに消えてなくなること、この現実に少しの間しか滞在しないものを憶えることをいう。 哲学による正しい語義とは、こういうものだ。 TVでは、施設の職員が「高齢者」の世話をする場面が取材されていた。食事の世話だ。 職員は、白い大きなマスクをして、ゴム手袋をつけて、スプーンを持ち、食物を高齢者の口に入れていた。 「だんだん食べる量が減っていますね」と言っていた。 「これが衰弱死の始まりです」と医者は言う。 試しに、家族の人の全員が「白いマスク」をつけて、ビニール手袋をつけて食事を運んで来て、「白いマスク」の目だけで見られる中で食事をしてみるといい。誰だって「衰弱」していくのではないか。生きた心地がするものか、どうかを、職員も施設の責任者も医療者も、試してみるといいのだ。
見舞いに来た息子がいた。中年の男性だ。 ベッドの中に寝ている老いた母親をベッドの側で見ている。 顔に、大きな白いマスクをつけていた。 声を聞けば自分の息子だとは分かるだろうけれども、お互いに、「顔も目も見ない」ので全く「認知の能力」が働かないのだ。 「あなたは誰ですか?」と顔とか、名前を「忘れる」ことの方が、よっぽど人間らしい関わり方になる。 このテレビの中に出てくる息子は、おそらく、風邪のウィルスかなにかを心配しているのだろうけれども、実の母親の「目で見る」ことの「感覚の知覚」を拒否して遮断している。すると、母親であることはもちろん、「生きている人間」であることも分からなくなる。 これが「体験を忘れる」という認知症の中核症状なのだ。 |