[3777-2] 谷川うさ子 2015/09/22(火)16:59 修正時間切れ
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またべつの家族のケースがある。心優しそうな長男の母親が、衰弱してベッドの中にいる。どうも医療をかねた施設のようだ。 起き上がれない母親に、心優しそうな男性(中年の男性だ)は、遠くアメリカに留学している子ども(男性)の写真を見せる。じっと見せつづける。一言、二言くらいは何かを言う。 「あ、少し笑った、喜んだふうだ」とまわりの人に話しかける。
ここでは、「見る」ことに共時させた「聴覚」(左脳の聴覚野・言語を聞く)が何も無い。 すると、母親の脳の中では、虫の音とか風の音のようにしか、話されている言葉は聞こえない。山の中か、広い海の中に一人でぽつんと孤絶した状態になる。 自律神経の交感神経が全く働かなくなり、無気力、不快感、苦痛感がつのって心身にダメージを受けるのだ。
もし、この男性が、写真を見せながら「何をしている」とか「どういう活躍をしている」とか「アメリカの友だちはどうだと言っていた」と説明の話を、写真に対応させればどうなるのか。 社会性のある会話ができるのだ。仮にどこかで死ぬにしても、「そういう人はいなかったも同然」という存在証明の記憶が残らないような死に方ではなくなる。「顔、目を見て話して、その人が生きていた」という共同と共生の中で、多くの人の心の中でなおも生きつづけるような「死に方」、「生き方」の技術を学習すべきではないか。
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