[3770-2] 谷川うさ子 2015/09/04(金)13:48 修正時間切れ
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「せっせ、せっせとノートに聞き書きをする人」は、「右脳・聴覚野」「右脳・頭頂葉」しか働いていない。すると「右脳・実像」は「見る」という器官の「感覚」しか働いていない。だから「右脳・聴覚」は、説明する人の言葉の中で、「自分に分かる餞別した言葉」しか聞こえないし、聞けない。もっというと、自分の大脳辺縁系の中の扁桃核が「好き」と価値決定した言葉しか聞けないし、聞こえてこない。自分の「性の欲」に見合う言葉しか聞こえてこない。
すると、「分かった」という気になるだろう。自分の欲求の感覚に見合った言葉を「ノート」に書くので、あたかも自分が「しゃべった感じ」になる。だから「分かった、分かった」と思うのだ。 上司が「質問する」と「分かりません」と言う。 「こういうことを説明したよね」と言うと、「憶えていません」と言う。 「何か質問はありませんか?」と問うと、「質問はありません」と答える。 これは、目、耳の感覚がつくる「知覚」という中身にかかわることは記憶されていないということだ。 熱い、冷たい、重い、軽いといった「感覚」にかんすることだけが記憶されている。だから「説明の言葉」の発言なり、発語なりは知覚したが、その内容の「認知」のことは憶えられていないという脳の働き方がおこなわれている。
こういう「見方」「聞き方」は「白内障」や「緑内障」をつくる。目の自律神経の交感神経が働いていないので血流障害が起こる。 すると、「右耳」(左脳・聴覚野)が止まって、「突発性難聴」が起こることもある。 この「白内障」「緑内障」の目の働き方の延長に「要介護状態」や「認知症」(痴呆症)がある。 対策は、「仕事」(学校の授業も)の中で説明を聞くときに「せっせせっせとノートに聞き書きをする」ことを止めることだ。
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