谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
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[3838] 質問よろしいでしょうか? Ayuko - 最新投稿 Ayuko 2015/12/30(水)19:43
[3838-1] 質問よろしいでしょうか? Ayuko 2015/12/22(火)13:45
   うさこさん、こんにちは。

右脳・実像や左右の聴覚野・視覚野のメカニズムの学習をしていてふと、気になった事があります。

それは、歌(様々なジャンルの歌全般。聴く場所(歌番組やコンサート、映画など)も様々ですが)を聴いていた時、その曲のメロディーを憶えて口ずさんだり、口笛を吹くことが可能であっても、肝心の歌詞に関しては、楽譜や歌詞カード、歌番組の字幕やカラオケの字幕がないと全く思いだせないので歌えない。歌詞が曖昧で間違った覚え方をしている、といった場合、脳の中ではどのような働き方になっていると言えるのでしょうか?

ちなみに、私自身は先天性の右耳難聴があり、電話やイヤホンは必然的に左耳で聴くという形になっています。

時間がある時でいいので、回答よろしくお願いいたします。

[3838-2] 追加の質問です。 Ayuko 2015/12/25(金)13:12
   うさこさん、こんにちは。

先日の質問の件ですが、追加の質問として、音楽のメロディーに付け加えて、音楽のリズムについても、歌詞が思い浮かばない、曖昧な記憶しかなくて歌えなくても、音楽のメロディーやリズムは思い出して音楽に合わせる事が出来る。といった場合の脳の中でのメカニズムについても教えていただけたらと思います。

[3838-3] 「Ayuko」さんのご質問にお答えいたします(12月29日・谷川うさ子) 谷川うさ子 2015/12/29(火)14:52
     Ayukoさんからは、12月25日付けでご質問のご投稿をいただきました。どうもありがとうございました。ご回答が遅くなりました。お詫びいたします。

■ Ayukoさんのご質問の主旨
一、音楽の歌の歌詞、メロディ(旋律、伴奏)、リズム(音のアクセント、拍子)は、脳のどういう部位で聴くのか?

二、これら歌の歌詞を忘れる、もしくはメロディ(旋律、伴奏)だけを憶えている、あるいはリズム(音の高低などや拍子)だけを憶えている、という脳の働き方とはどういうものか?

三、自分自身は、右の耳に先天性の難聴がある。
 電話の受話器、イヤホンは左耳で聴いている。

●お答えいたします
 ポルソナーレのカウンセリング・ゼミが明らかにした「脳の働き方(言葉の生成のメカニズム)」のごくおおまかなしくみ(デザイン)をご説明します。

◎人間の脳は「左脳」「右脳」に分かれている(独立して働くが、共に協力しても働く)。
◎「左脳」は「言語」および「言葉」をつくり出す。
◎「左脳」は、「非言語」(行動のことです)をつくり出す。

◎人間が、「左脳中心」、「右脳中心」というのは「耳」「目」の感覚の働かせ方で分かれる。
◎「左脳の聴覚野」は言語、言葉の文法などの法則を聴く。
◎「左脳の視覚野」は、物事の「二・五次元」と「三次元」(ゲシュタルト原理)を視る。

◎「右脳の聴覚野」は、ロックのいう第二の性質を聴く。自然音のことである。
◎「右脳の視覚野」は、ロックのいう第二の性質を視る。色、味、香などが第二の性質である。

◎「右脳」に『実像』という領域がある。この『実像』は、「目」(視覚)の『感覚』と『感覚の知覚による認知』という二つの働きと機能をもっている。

◎『右脳・実像の感覚の知覚』は、「対象とかかわること、その行動をつくり出す」。ちなみに、「視覚」と「聴覚」は、大脳辺縁系にある「視床」でつながっていて、つねにセットで働く。

◎『右脳・実像の知覚の認知(吉本隆明の哲学では、「了解作用の過程」と説明されています)』は、「行動の秩序・倫理」をつくり出す。


◎音楽は「非言語」である。
◎「右脳・聴覚野(ロックのいう第二の性質)」でメロディ(旋律・伴奏)も、リズム(音のアクセント、拍子)も聴く。

◎歌の「歌詞」は、『右脳・実像の感覚の知覚』の部位で、「丸暗記」として憶える(歌詞は言葉ではあっても、言語ではない。だから、人間関係か、そのときの行動を記号として丸暗記の言葉として言い表すのが歌の歌詞である)。

◎歌の「リズム」は、『右脳・実像の感覚の知覚』に対応している。だから、「リズム」というのは「行動」のカテゴリーにある。「くりかえして聴く」という「行動の持続」がないとすぐに忘れられる(ロックのいう第二の性質は「主観」であり、「短期記憶」であるからである)。

◎歌の「メロディ」は、『右脳・実像』の感覚の知覚の認知(了解作用の過程)に対応している。
 「メロディ」(旋律・伴奏)は、「行動の秩序」(倫理)のカテゴリーにある。

[3838-4] 谷川うさ子 2015/12/29(火)14:52
    「リズム」をくりかえして何年にもわたって聴くと、「メロディ」の「秩序」の了解に転化する。もしくは、「右脳・言語野」(ブローカー言語野・3分の2、空間構造)の「言語」による行動の意味を学習してものごとの「認識と行動」を手に入れた人が、「メロディ」に共感する。

●昭和30年代から40年代の日本の「年末の歳末」は、小林旭や橋幸夫の歌が、大音量の拡声器で町中に流されていました。新聞への折り込み広告のチラシも月刊誌なみの厚さで各家庭に配布されました。映画館は大音量の拡声器で石原裕次郎の歌を空高くに向けてくりかえして、流していました。歌とリズムが一致して、12月にもらったお金で、冬の暖かいマフラーとか手袋とかを買うという行動が、新しい年への希望、出会いたい期待に胸を高鳴らせました。
 日付けが変わり、年も変わると、買った物も、消えた歌、リズムとともに、次の新しい「行動」につながって、また、新しい歌とリズムが心をふるい立たせて、「行動」も成長しました。

 平成の現代は、電化とテクノロジーで「右脳・実像」の「行動」の能力がどんどん止まり、認知症(痴呆症)にみる「行動の止まり」が「歳末の光景」になっています。歌もリズムも「着メロ」になって消費されて、「行動の止まり」が若い世代にも広がっています。今は、瞬間、瞬間のキレギレの「行動」が「年明けの光景」にもなり、誰もが「歌」の歌詞を忘れ、リズムも忘れるという「健忘症」の中で生きているのです。

 「忘れない」ためには、歌っている人の「顔、目を見て聴くこと」です。要介護状態にある人にも、好きな歌手の「顔」「目」を見せてあげながら、くりかえし、5回くらい、聴いてもらうと、「新しい年は、いっちょ、やってやるか」と立ち上がり、行動の力を取り戻していただけるはずです。

[3838-5] ありがとうございました。 Ayuko 2015/12/30(水)19:43
   丁寧な回答ありがとうございました。

歌を聴く機会がある時には、歌っている人の『顔・目』を見て聴く事を生活習慣の一部として定着できるように努力していきたいです。


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