[3838-4] 谷川うさ子 2015/12/29(火)14:52 修正時間切れ
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「リズム」をくりかえして何年にもわたって聴くと、「メロディ」の「秩序」の了解に転化する。もしくは、「右脳・言語野」(ブローカー言語野・3分の2、空間構造)の「言語」による行動の意味を学習してものごとの「認識と行動」を手に入れた人が、「メロディ」に共感する。
●昭和30年代から40年代の日本の「年末の歳末」は、小林旭や橋幸夫の歌が、大音量の拡声器で町中に流されていました。新聞への折り込み広告のチラシも月刊誌なみの厚さで各家庭に配布されました。映画館は大音量の拡声器で石原裕次郎の歌を空高くに向けてくりかえして、流していました。歌とリズムが一致して、12月にもらったお金で、冬の暖かいマフラーとか手袋とかを買うという行動が、新しい年への希望、出会いたい期待に胸を高鳴らせました。 日付けが変わり、年も変わると、買った物も、消えた歌、リズムとともに、次の新しい「行動」につながって、また、新しい歌とリズムが心をふるい立たせて、「行動」も成長しました。
平成の現代は、電化とテクノロジーで「右脳・実像」の「行動」の能力がどんどん止まり、認知症(痴呆症)にみる「行動の止まり」が「歳末の光景」になっています。歌もリズムも「着メロ」になって消費されて、「行動の止まり」が若い世代にも広がっています。今は、瞬間、瞬間のキレギレの「行動」が「年明けの光景」にもなり、誰もが「歌」の歌詞を忘れ、リズムも忘れるという「健忘症」の中で生きているのです。
「忘れない」ためには、歌っている人の「顔、目を見て聴くこと」です。要介護状態にある人にも、好きな歌手の「顔」「目」を見せてあげながら、くりかえし、5回くらい、聴いてもらうと、「新しい年は、いっちょ、やってやるか」と立ち上がり、行動の力を取り戻していただけるはずです。 |
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