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■目は心の窓。目を見て話せる心の開き方
目を見て話すと楽しい。心が通じます。自分のことを分かってもらえるのが目。嫌われない、目を見て話せるカウンセリング。
「どうしても、相手の目を見て話せません」子どものころから困っていた田代西子さん(仮名・46歳)の物語です。
わたしが小学4年生のころです。桜の花が咲いていました。月の明るい夜でした。「夜の桜を見に行こう」と、6歳年上の姉が誘ってくれました。 わたしの家の裏は、小さな山が広がっています。月明りに照らされて桜の花がふわふわと夜空に浮んでいました。姉は私の手をにぎって、きれいねえとうっとりした声で言います。私も、薄いピンク色の花が空に染まってきれいな桜の花だと思いました。 桜の花を見ると、なぜか胸が切なくなってしんみりします。 夏の終わりに盆踊りがあります。ピンク色の提灯の明りがいくつもいくつも夜空にはかなく浮びます。 今年もにぎやかな心の動きが終わったという思いがこみあげてきます。 春の夜、月の光に照らされる夜桜も、わたしの心に何かが終わったことを教えてくれました。 わたしは、この日から、姉の目が見れなくなったのです。
NHK・TVのドラマで『マッサン』が放映されています。 アメリカの女優さんが、日本人の妻の役を演じています。役名はエリーさんです。 スコットランド出身ということになっています。 エリーさんは、ドラマの中で誰と話すときも、必ず、その人の顔と目を見て話します。誰の顔も、誰の目も見て話します。 いいなあと思いました。 ちょっとした議論のときも、稼ぎ先の日本の義理の母親がひどく辛く当るときも、目を見て話していました。ドラマを見ていて、エリーさんの表情や話し方を見ていると、わたしの心の中も春の陽から暖かくつつまれたようにつめたい緊張があたかたもなくなるのが分かります。 エリーさんっていいなあと思います。わたしだってあんなふうに話せるはずだよ。
わたしのお母さんは、わたしが小学4年生になるか、ならないかのときに、家を出ていきました。 お父さんは、お母さんにとって二番の夫です。わたしの実の父親は、0歳8ヵ月の時に交通事故で亡くなりました。バイクで通勤している時、大型のトラックが追突したのだそうです。 再婚する時、お母さんは、亡くなった父親の写真やら遺品のいくつかをお寺に預けました。 義理の父親は、わたしを見ると、気持ちの奥底が辛くなったのではないかなと思います。大人になった今なら、義父の気持ちは少しですけど分かる気がします。 お母さんもきっと義父の気持ちが分かったので家を出て行ったのでしょう。 義父は、お母さんが家を出たあと、わたしに辛く当りました。 姉と月明りに浮ぶ桜の花を見たとき、薄いピンク色の花の中に、母親の顔が見えたように思えました。お母さんが家を出ていく前日の夜。寝ていたわたしの枕もとにじっと座っていたのを思い出します。わたしの顔を、小さな豆電球のオレンジ色の明りで見ていました。 「せいこちゃん。一緒に行く?」と言ってくれるのを待っていたのかもしれません。わたしはぎゅっと目をつぶり、お母さんの気配を感じていました。 朝になると、お母さんはいませんでした。 姉といっしょに見た夜の桜の中のお母さんも、何も言ってくれませんでした。 ふつう、がんばれ、がんばれ、せいこちゃんって、言ってくれるものじゃないですか。 お母さんは、こんなにも大きくなって、なんでもできる女の子になってくれて、とっても嬉しいよと言ってほしかったなあ。 |