[3755-2] 谷川うさ子 2015/08/11(火)10:44 修正済み
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このことは、経験をふりかえってみてもなんとなくうなづけるものがあるのではないか。 心や精神の異常は、「しゃべっている言葉」にあらわれているだろう。 鬱病の人は、「人の顔を見て話さない」「人の目を診ながら話を聞けない」、そして「話題にすることが、会話の中の行動や名称や状況といった視覚によるイメージ」が定まらなくてハッキリしない。話される言葉は、思いつくままに自分の欲求のままに言いあらわされるだろう。
首を曲げてあさっての方向を見ながらしゃべる人もいるし、スマホの画面を眺めながらしゃべる人もいる。 医者はパソコンの画面を見ながら患者と会話しているつもりの人もいる。これが鬱病なのだ。 「DSM-4の診断マニュアル」で診断する医者も多いが、彼らは、「疫学」によって確率を意味する傾向を語って薬を処方する。
分裂病(統合失調症)とは、「目で見ている相手」との感覚による知覚だけは成立している。しかし「見る」という認知はない。「しゃべること」「話すこと」の内容は、相対する「対話者」と対立し、攻撃し、拒否するということを言い表すのだ。不快感を与えたり、言いがかりをつけたり、なんくせをつけることを特徴とする。 「聴覚」の働きが「目の働き」から離れてゾンビのようにひとり歩きするのである。 以前は、「関係妄想」と呼ばれた。しかし本質は「目の前の人」を排他することにある。
要介護状態となる認知症(痴呆症)の「聴覚の働き」は、「目の前の人」を見ていない。そしてひとりでにしゃべるということだ。
人間の本質は、「視覚」と「聴覚」が共時しなくてはならない。「視覚」が切り離されて「聴覚」だけの働きとなる。それが認知症(痴呆症)だ。 この脳の働き方は、テクノロジー依存の場合と同じだ。
要介護状態、認知症(痴呆症)は、脳血管性のトラブルとかアルツハイマー病がつくるのではない。現代では、パソコン、スマホ、デバイスの依存症が直接の原因になっている。
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