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多くの人は、自分には 本当の自分がある、と 信じている。想像の中の 大活躍している自分を 信じている。それは仮想の 自分と気づいて 幸せになった物語。
わたしは、ひとりっ子で育ちました。母親の言うことによると、幼稚園生の頃から何もひとりではできなかった子だったといいます。 服をひとりで着れない、服のボタンをひとりではめられない、といったふうです。小学校のころは給食を食べるのが遅く、食べ終わるまで遊ばせてもらえませんでした。 わたしは、給食が嫌いになりました。
小学校のころには、授業の体育がニガテでした。 どうしても人と同じような行動ができないのです。身体の動きも、動作も、じぶんだけが人と全く違ってしまうのです。先生がわたしだけ注意します。わたしは、体育のある授業のときは、いつもトイレに隠れていました。 わたしは、学校の先生の紹介で児童相談所に入れられたのです。
登校拒否は中学2年生で治りました。児童相談所に行くよりは、学校の方がマシだと思えたからです。 高校生のころは、いじめられたり、悪口を言われたりしました。でもわたしは仮面をかぶることにしたのです。仮面といっても「心の仮面」です。バカにされ、無視されても「あれはわたしのことじゃない。本当のわたしのことじゃない。だから平気。何を言われても、本当の自分が仮面の自分を上から見下ろしているって思えば平気、平気」と思うことにしたのです。 友だちとは表面だけ、仮面の自分に付き合わせて気持ちや感情は、外に出さないようにしました。
高校を卒業してコンピューターのソフトを勉強する専門学校に入りました。そしてコンピューターのソフトをつくる会社で働いています。 先輩といっしょにユーザーの会社に行きソフトを開発して提供するという仕事です。 この会社で、わたしは「愛想が悪い。ガンコだ。すごく表面的で、ブリッ子だ」とウワサされています。何にたいしても無関心、どんな話にも喜ばないので無感動、仕事が遅くなろうが、ミスが起ころうが反省しないし、謝らないので無責任という性格だと思われています。 これは、いくら本当のわたしじゃないと思っても、無愛想、無口は治りません。口が動かないし、表情も動きません。
会社では、2人でチームを組むことが多いので、「なんとか話をしないと…」と思うのですが、焦って、一言、二言だけを話すのがやっとなのです。相手の人が話しても、トンチンカンな受け答えになります。会話にならないのです。 3人とか4人とかの人の中に入ると、「こういうことを言うとバカだと思われるのじゃないか」と心配になります。思っていることの半分も言えないので、話す気力もなくなるのです。 |