[3654-2] 谷川うさ子 2015/01/12(月)15:53 修正時間切れ
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学校には、自分の座る机があって、そこが自分の居場所になります。 友だちは、隣の子からということになります。それは隣の子にとっても同じです。席が隣になったということは、ハトさんと友だちになるよりも当り前で、カラスさんと友だちになるよりも難しくはないことなのです。毎日、学校に行くと、隣どうしに友だちになった子どうしが大声を話しています。2人のうちどちらかと親しかった子がわざわざ席まで来て、一人がしゃべると、ほかの3人とか4人とかもハトさんどうしが鳴き声を出し、鳴き声が止まらないという様子になります。週末の駅のホームのように、教室の中はハトさん、カラスさん、スズメさん、ニワトリさんのかたまりができて、みんなが大きなタイコを一つずつ持って、みんなでタイコを打ち鳴らしているようなにぎやかさになりました。 学校に行くようになっていじめられたという話をよく聞きます。 私の家の近くにも小学6年生と中学2年生の女の子と男の子が、不登校と呼ばれて学校に行っていませんでした。小学6年生が私よりもお姉さんの不登校です。母親が、「いつも元気で、笑顔であいさつしてくれるよ」と言います。 夏休みとか長く学校が休みの日は、家から出て来ないそうです。学校のある日は、楽しそうに買い物に歩いています。 他の不登校の子に勇気を与えてくれる堂々とした存在です。
中学生の男の子の不登校の様子は、さぞ家庭内暴力で母親が苦悩していると想像するでしょう。 その中学2年生の不登校のお兄さんは、パソコンが得意です。ゲームにも依存しています。あまり家から出るということはないそうですが、近所のパソコンを使う高齢者がフリーズとか、なにやらの理由でパソコンにシステム障害が起こると、出かけて行って、本を見ながらとか説明書を読みながら直します。直った時は、絶賛されます。学校に行くと、校門の前でピタッと足が止まり、一歩も動けなくなるので、不登校です。 このあたりの人間の心とは不思議で、当時の私の思考能力では、『アナと雪の女王』の魔法よりももっと難しく思えました。
学校のいじめは、急に起こるものではなく、しゃべれないことがつくる心の中のひがみがつくる一人芝居のドラマの果す部分が大きいと思います。まわりが仲のいい人どうしで小さなコミュニティをつくると、そこに入れていないことがいやがらせに思えてしまいます。自分には声をかけてくれないとか、教室の中で一人でいる時に耳に入ってくる声や言葉が、自分に向けられているようにどうしても思えてくるのが、孤立の辛いところだと思います。 小学校のどの学年でも、二学期あたりから私の心の中に、何もしていないのに悪口を言われているという異常心理が、いつも北アルプスの御嶽山のガス噴火のように噴き上がりました。
中学生になると、女の子は誰でも美しく、きれいになる飛躍の変化が現われます。 女の子にとってこの中学の3年間がいちばん大事な時期です。 近所のお姉さんは、不登校のまま中学の時期から高校の時期を少なくとも表面だけは幸せそうに過しました。 「中学の3年間は、大人の世界に混ざってみるべきだったのよ。いずれ、高校生になると大人の世界にひっぱりこまれるのだから、自分が大人からどういうふうに見られるのか?を先に見ておくといじめとか、いやがらせとかに、気づくことはなかったのよ」とそのお姉さんからメロンジュースをおごってもらいながら聞きました。 私は、今でもメロンジュースが好きです。
不登校の状態で通信の高校を卒業して、地元の大学は一年で中退したそのお姉さんが言うのは、大人の言葉をいちどはまともに聞く、そしてしゃべってみるということです。中学の2年生や3年生で大人と同じ視点でものごとを一度でも見る、そして対等に会話すると、人見知りをするとか、無視されたら怯えることはないのであるという意味です。どこの心理学の本にもこういうことは書いていないけれども、その不登校だったお姉さんが証明しているように思います。 |
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