谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


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[5283] こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。 ◎きょうは、先日の「ポルソナーレの自己カウンセリング研究会」の「研究会」でご提示いただいた「主題」の「視線恐怖というもの」について、「コーチング」の観点からのアドバイスをいたします。 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2019/08/26(月)08:29
[5283-1] こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。 ◎きょうは、先日の「ポルソナーレの自己カウンセリング研究会」の「研究会」でご提示いただいた「主題」の「視線恐怖というもの」について、「コーチング」の観点からのアドバイスをいたします。 谷川うさ子 2019/08/26(月)08:28
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谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!!
発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子
(第1期・207号)
(令和元年8月26日)
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こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。


◎きょうは、先日の「ポルソナーレの自己カウンセリング研究会」の「研究会」でご提示いただいた「主題」の「視線恐怖というもの」について、「コーチング」の観点からのアドバイスをいたします。


◎「視線恐怖というもの」という場合、ここでは、「人の目が気になる」「人と話すとき、自分の目は、相手の顔とか、目とかを見ることができない」・・・「とりわけ、人と話すときに、相手から見られている目を意識して、自分の目をどこに向けていいのかに困る」、などのことが、問題になされています。


「主題」のテーマは、「視線」と、「恐怖」の2つの名詞の言葉です。

「もの」という言葉も名詞であることは、すでにお教えしています。


「もの」という言葉をつけているのは、「視線」「恐怖」の名詞としての言葉が、実際にはどういうふうに実在しているのか、をよく分かるため、です。


なぜ、面倒なのに、わざわざ「よく分かるために」ということをおこなうのかといえば、多くの日本人は、「よく分かる」という確かめをおこなわなけければ、「視線」とか「恐怖」という名詞の言葉の指示する事実(現実)がいつまでも目に見えないからです。


視線とか、恐怖、という言葉は、どなたもしばしば耳にしているでしょう。

そこで、「では、視線とはどういう事実のことですか」とか「恐怖とはどういうあなたの経験もしくは、だれもがどういう事実のことをさして恐怖といっていますか」と質問したとすると、・・・「視線」とは、相手とかまわりの人を目で見ること、あるいは見られていること、と答えるでしょう。

また「恐怖」とは、「見られているから怖い」「相手の顔とか目を見ることができないから怖い」という回答になるでしょう。


●多くの日本人はこういう答え方をするから、ここでの「理解」が誤りであることを正すために、「もの」「こと」の名詞をつけて、正しい名詞の言葉に訂正することをおこなうのです。

●視線とは「目の知覚を向ける方向」(直線)のことです。

●恐怖とは、「日本語・ヤマトコトバ」の意味では、「近づかない」「遠くに離れて見る」という意味です。これは訓読みによるデタラメの解釈による言い方です。

もともとの語源は、「固い」「強い」という意味であることは、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミでご説明しております。


だから、「恐怖」というコトバを「こわいよー」などの意味で遣うと、根本的に目で見るという関わり方が不明のままで、このテクノロジー状況では、「現実・事実」を見ているのに、見ていない、という離人症のような思考の仕方が人生の最期までつづく、という生き方になります。


●このように正確に理解すれば、視線とは、自分が目で見るという視覚の知覚はあっても、視覚の認知は無い、という自分の問題がここにある、ということになります。

[5283-2] 谷川うさ子 2019/08/26(月)08:29
   なぜかといえば、「恐怖」とは、会話の相手に近づかない、遠くに自分が去る、ということを自分でおこなっていることを、さながら、相手が自分になにか、危害でも加えているかのような表現であるからです。


その相手とは、会話をしたくない、その相手、あるいは、誰とでも、話はしたくない、というのが「視線恐怖」のもっとも正しい意味です。

これが、「もの」という名詞をつけることで明確になる名詞の実在性です。


「視線恐怖」、という意味は、人と話したくない、どういう相手とも、自分からどんどん会話などはしたくない、という人の対人への「行動」の意識です。

だから、自分ひとりで食べ物とか好きな快楽の娯楽を目的にした「行動」はおこないます。

グルメとか、相手の姿や顔の見えないネットでのラインでの関係などの「行動」は実行します。ひとりだからです。


●これが、「対人恐怖」、となると、「人間の全般」を遠くに見る、近づかない、という行動のためのコトバになることはよくおわかりでしょう。

「視線」、とは、目を向ける線の延長のうえに「個別の相手」がいます。この人は嫌、この人は、食べ物を媒介にできるので、関わりの行動の相手になる、という選別がおこなわれています。


「対人恐怖」というコトバの自分の行動は、どの人も、人間はすべて、全部の人、に近づかない、というときの「行動」のためのコトバです。それが、「対人恐怖」というヤマトコトバの動詞から転位した名詞のコトバです。

「全部の人に近づかない」、を自分の行動のためのコトバにしているので、基本的に誰にも敵意を向けます。自分の人生という「行動」の対象が否定されます。

引きこもり、強迫観念という神経症をつくります。

やがて、確実に痴呆症にまで行き着くでしょう。


●まずは、「もの」「こと」をつけて、名詞の定義を(実在性のことです)はっきりさせることの目的をこういうふうに理解しましょう。


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[2024/04/29 11:40] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子