谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
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[2908] 恋愛と結婚のメガ・ソフトインフラの脳神経学 谷川うさ子 - 最新投稿 http://www.baabaashop.com/.smileys/moncler.html 2013/10/27(日)07:04
[2908-1] 恋愛と結婚のメガ・ソフトインフラの脳神経学 谷川うさ子 2011/10/03(月)18:46
   恋愛と結婚のメガ・ソフトインフラの脳神経学

女性の場合は!!「恋愛」「結婚」をすると一方的にしゃべって鬱病になる!!男は「結婚」をすると一方的に聞く人になって禁忌(タブー)の人になる!!の、“日本型の鬱病”を改善する新・性格教育学!!

 本稿の「恋愛と結婚のメガ・ソフトインフラの脳神経学」をお読みくださる方に、お伝えしたいことは、こういうことです。
 まず、“現在”は、「結婚」も「恋愛」も、その概念の枠組みは変わりませんが、しかし「成立のさせ方」が全く変わってしまっている、ということです。
 この「変わってしまっている、すっかり!!」ということを認めて受け容れなければ、どんな「恋愛」も「結婚」もものすごいスピードで崩壊していく、という大崩壊の局面にぶつかっています。
 およそ30年くらいまでの「恋愛」や「結婚」を成立させるイメージは「ハッピーエンド」で「幸せ」で「ゴールイン」であって…というものでした。このようなイメージは転換しています。転換を推進してきたのは《女性》(母親)です。昔の恋愛や結婚は、日本人の人間関係をつくる内扱いのための大脳の脳神経の働きに見合っていて、理にかなっていました。この理にかなうというのは「うまくいけば“大脳”の働きをバック・アップするはずだ」という余地をもっていました。しかし、“現在”は、日本語の話し方を「きわめて精密に“大脳”の左脳と右脳のそれぞれ異なっている働きにピッタリ一致させなければ、一瞬にして脳のホルモン系と心臓を出発点とする自律神経系に鬱病の異常をつくり出す…その直接の原因が恋愛であり、結婚である」と急激な崩壊の中に入り込んでいるのです。とくに「男性」は「女性」が推進している恋愛と結婚の《概念》のイメージを正しく把握しないと甘美と期待していたはずの恋愛や結婚の中で「心停止」か「痴呆」の心的な状態にまで追い詰められていくでしょう。
 女性もまた、無キズでいられる筈がなくそれまで男の病気だった鬱病に反応して、ヨソ者(禁忌・タブー)の人になっていくのです。
 採り上げているケース・スタディは特定の個人とは全く無関係です。つくり変えられ、合成されて再構成していることを念のためお伝えいたします。長文ですが楽しくお読みくださいませ。

●仕事をして自立する自信がないので「結婚」したいのですが、「恋愛」は破綻しました。 
 私のどこに問題がありますか?

(1)年齢26歳、(2)性別/女性、(3)未婚、(4)血液型/О型、(5)職業/会社員、(6)最終学歴/短大・英文科卒、(7)家族構成/①父親55歳・会社員、②母親50歳・主婦、③兄30歳、④弟18歳、専門学校生

●相談の事例
 私は一年間、恋愛をしました。短大(英文科)を卒業して、五年間、会社の事務をして働いています。今も同じ仕事をしていますが、うまくいかなかった恋愛を思い出して、毎日苦しい思いをしてまだ立ち直れないでいます。
 恋愛のスタートは25歳の時でした。この恋愛はいっしょうけんめいにがんばったつもりです。別れた彼も、「恋人として理想的だった」と言ってくれました。でも別れた彼の母親が突然「反対」して、説得して「別れさせた」のです。私たちは恋愛をはじめて半年くらいしてお互いの間で「結婚」の話がもちあがりました。私の親戚すじの人は、この「結婚」に反対でした。しかし私の家の両親、とくに母親はとり合いませんでした。私は、「親戚の人は結婚に反対したけれども、両親は承知している」ということを《彼》(当時の)に伝えました。これを伝え聞いた《彼》の母親が「別れるように」と説得したのです。私は、初めての恋愛をいっしょうけんめいでした。《彼》は「よく尽くしてくれる」「優しい」「暖かい」と言ってくれました。「行動する前からこわがったり、人の話を聞いて神経質になる」とも言っていました。私は自分の恋愛のうまくいかなかった原因を正しく把握したいとつよく思っています。私は《彼》の言うことは素直に聞いたつもりです。私は「社会の中で単独で自立して生きていく能力は無い」と思っています。「恋愛」をしてうまくいく能力とはどういうものでしょうか?

[2908-2] ●カウンセリング 谷川うさ子 2011/10/10(月)10:29
   ●カウンセリング

●わずか一年間で終わった「恋愛」

 Pさんからのご相談は、「終わってしまった恋愛について」です。お付き合いされた男性との一年間の恋愛が今でも心の中で痛みとして感じられていて「いまだに立ち直れないでいる」とのことです。
 Pさんは、「自分の恋愛がうまくいかなかった原因を正しく把握したい」と考えておられます。「いつか結婚したい」とも書いています。
 その理由は「仕事と女の友だちだけの日々に限界を感じている」「社会の中で、単独で自立して生きられる能力など自分には無い。もしあったとしても一生そのようにして過ごすということはあまりにも淋しくて絶望感におそわれる」ということをあげておられます。
 Pさんは今、「26歳6ヵ月」の女性です。
 今の日本の時代と社会の中の“現在性”というものは、「恋愛」や「結婚」を誰もが知性にかかわる問題としてくぐってゆかねばならない「年齢」の位置に突き当たっている女性であるといえます。
 かつての政府系の機関の調査によると、日本の女性は「結婚の平均年齢」は「26歳」に上がっているそうです。男性は「27歳」です。平均ですから、実際は「20歳」くらいから「35歳」くらいまで(男性は37歳くらいまで)の幅があるということになりましょう。こういう傾向のことを「晩婚化」といいます。
 なぜ、このような状況に変わってきたのか?をご一緒に考えてみたいと思いました。
 Pさんと同じように「恋愛はしたい」「結婚もしたい」と心の中で思っている女性は、今の日本の時代と社会の変化はここ数年来感じてきてはいても、しかし、昔からの日本の「女の一生のイメージとしての結婚観」はヴィジョンとして固く持っている女性はたくさんいらっしゃるはずです。それなのに、なぜ、日本の女性は「晩婚化」の情況に変わってしまったのでしょうか。
 それは、個人の女性の「恋愛の能力の問題」なのでしょうか?ぜひ、ここをご一緒に考えてみたいと思うのです。
 それでは、これからの文章は少し長くなりますが、お読みになれば、これからの日本の時代と社会の中で生きていく「女性」の立場にとって有意義であるはずですので、がんばってお付き合いください。まず、考えてみたい初めの手がかりは、Pさんのお書きになったお手紙の中の次のような点です。

「25歳の時、一歳上の男性と恋愛した。一年間、と短い期間だったが、いっしょうけんめいだった」
「彼は“家業”を継いでいた。半年たった頃、お互いに結婚を考えた」
「破局の原因は、結婚にあたり彼の両親との同居の提案にあまり賛成しなかったからである。なるべくなら同居を避け、もし同居するならば家の中のいろんな部分を分けて欲しい、と要求した」
「自分の側の親戚からのつよい反対があった。これには自分も、自分の両親も耳をかさなかった。しかしこの伝えた反対意見が、彼と、彼の両親を傷つけることになった」
「この二つのことで、彼の両親が、彼を説得して自分と別れさせようとした。彼の気持ちは変わった。自分は泣く泣く別れた」
「彼の最後の言葉は“恋人としては理想的だった”、である。また、彼の自分への評価は“よく尽くしてくれる”“素直に言うことをきく”“優しい”“暖かい”“行動する前からこわがったり、人の話を聞いて神経質になったりする”、ということだった。
 たしかに自分は、神経質で『彼』に『安心』を与えつづけることができなかったのではないか?と別れた今、思える」

 Pさんの自分の「恋愛」について書かれている具体的な情報は、ざっとこのようなものです。ここに見られる情報の不足が、“現在の日本”の時代と社会の中の「女性」の「結婚」や「恋愛」の位置や現在性について考えてみたいと思わせたきっかけの一つです。
 そこで、Pさんから伝えられている「恋愛」に関係があると思われる情報を整理してみます。
●家族構成…父(55歳)専門学校卒。母親(50歳)高校卒。自分(26歳)短大・英文科卒。兄(30歳)大学卒。弟(18歳)専門学校在学中。
●Pさんご自身にかんすること…職歴は勤めて6年の会社員。「仕事の内容は不明」。初潮は「中学一年生」の二学期。性体験は無い。オナニーは「実行」している。
●生育歴について…両親は「見合い結婚」である。母親は、家業を継いだ父親の家に嫁いできた。自分も兄も、父方の祖父母と同居の期間中に生まれた。母親は、気性の激しい祖母に「精神的、肉体的苦痛」を与えられたという。

[2908-3] ●「恋愛」にも「結婚」にも「会話の能力」が必要 谷川うさ子 2011/10/17(月)14:02
    まず、Pさんのご質問にお答えすることからはじめます。Pさんは「自分のどこに問題があって、結婚まで考えた恋愛がうまくいかなかったのか?今、思い出しても胸が痛む」と書いておられます。このPさんの問いかけにお答えするのはさほど難しいことではありません。
 ポルソナーレは、恋愛については設立については設立の当初から解明してお伝えしておりますが、「恋愛」が成立するには、橋渡しとなる《媒介》が必要です。この橋渡しとなる《媒介》が無ければ、向い合っている「女」と「男」はただの無関係な通りすがりの「他者」です。あるいは、たまたまその場の「空間」に居ることを共通の「体験」にしている、偶然という一過性の時間を共有するだけの関係でしかありません。
 このような立場の「男」ないし「女」のいずれかが、相手の身体か、あるいは相手の観念に向けて何の了解も合意もなく「触る」とか「話しかける」ということをおこなえば、それは刑法一七五条違反の暴力行為か、社会不適合の病理の行動のどちらかになります。「社会の規範」の制約や限度を取り除いて、「男」と「女」がいっしょにすごす時間の体験を共有したり、相手の身体に性的に触るということが成り立つには、会話を通して「橋渡し」となる《媒介》が提示され、これを承知する、という合意がなければなりません。
 この「橋渡し」となる《媒介》はかならずしも「性的な関係をとりきめたい」という申し出と合意ばかりではありません。いずれ性の関係が成立して、くりかえし反復されるか、あるいはキレギレになるか、数ヵ月ないし数年に一回という性の関係になるかはともかくとして、お互いが「相手」を「性の関係の対象とする」と限定して特定化するという意味と価値を持っている《性の関係性》を支えるためには会話をとおした《媒介》があるのです。会話によって成り立つ《媒介》と、意味と価値の高い優先順位から並べてみるとこんなふうになります。

[2908-4] ●性の関係を支えて維持するために橋渡しとなる《媒介》と、その優先順位 谷川うさ子 2011/10/24(月)10:38
   ●性の関係を支えて維持するために橋渡しとなる《媒介》と、その優先順位

第一位…思想・哲学
第二位…行動にともなう倫理
第三位…性の関係
第四位…利害関係
第五位…物

 ここにあげているのが、「恋愛」でも「結婚」でもいいのですが、「男と女」(あるいは、女どうし。男どうし、の恋愛の関係でも同じです)の性の関係性を長くつづけて、関係性を深めていくために、会話で成り立つ橋渡しの《媒介》です。
 例えば、第一位の『思想・哲学』の《媒介》は、お互いが気に入り合い、共鳴したり共感し合って「性の関係」に入るとこの関係は、強度も密度も濃くなってつづいていき、かんたんには破綻しない、という意味をもっています。
 また、第五位の『物』が媒介になる!!とは、食べ物でも衣服でも、指輪でもなんでもいいのですが、そういうものをもらったから「性の関係」のとりきめに同意して、お互いが恋愛の関係になる、という意味です。
 カウンセリングの中で「恋愛の本質」を説明するとき、「あなたは、“物”をもらったから相手からの性の関係の求めに応じて、恋愛の関係になり、“彼女”になりますか?」と質問したことがたびたびあります。
 「物ってどういうものですか?」とたずねる人と、初めから「わたしは、“物”では心は動かされません」と答える人の二とおりがあります。
 「“物”というのは、おせんべいだったり、ジュースではどうですか?」と具体的に示しますと、たいていの女性は、ここで「わたし、おせんべいやジュースをもらったからといってその男の人とホテルなんか行きませんよ」とお答えになります。つまり、『物』には、この程度の《媒介》の価値しかない、と考えられているのです。
 しかし、『物』も「恋愛」の《媒介》になるのです。
 たとえば「バレンタインデーのチョコレート」は求愛のメッセージです。
 この「バレンタインデーのチョコレート」に象徴されるように『物』に恋愛の意味づけが加えられたり、恋愛の意思がもらった人にイメージされるという場合があります。このときは『物』が単なる『物』ではなくて、『物』をプレゼントする人間の心や精神をくっつけた記号的なメッセージの「仮託物」に変わるのです。だから、『物』も充分に「恋愛」の橋渡しを効果的に成り立たせる《媒介》になります。
 ちなみに《媒介》の価値の「第一位の思想・哲学」とは、どういうことか?といいますと、「人生八〇年」という時間の長さを自分という個人は「この世界の中でどのように有意義に生きていくか?」という「人生観」のことです。
 これは「自分」という個人を単位にした人生観から、「家族」や「血縁」のとどく範囲やまた「地域」の範囲の人生観、日本なら日本という「民族」を単位にした人生観、さらに「地球」の全域を単位にしたグローバルな人生観までの幅があります。
 なぜこのような幅がなりたつのかといいますと、それは、「人間は誰でも、一人では生きられない」という社会性の観念を土台にした《関係意識》というものを、生理的身体の生存の「目的」にしているからです。《関係意識》というものが正しく働かないと、人間は、だれであっても「脳」から「身体」の細胞が自己崩壊して《自壊》してしまうのです。
 この《関係意識》は、知的な精神のトレーニングによって高度化します。水準が高くなればなるほど、人間の生理的身体は、心や精神が生きられる観念の時間(歳月)を生きることができます。また、この「心や精神が生きられる」ということは「一人」だけではなくて、無限の数の人間にも広げられます。
 だから、会話を介して「思想・哲学」をベースにした《関係意識》を身につけてる人は、より豊かで、より有意義な人生を保証してくれる人であるといえます。こういう可能性をもっている人を「恋愛」の対象にすれば、性的な血縁関係のルートを通して、自動的に「自分」よりも豊かで、より有意義な人生をおくっていける「水準」を手に入れたも同然ですので、橋渡しの《媒介》の価値がいちばん高いのです。

[2908-5] ●性の関係を支えて維持するために橋渡しとなる《媒介》と、その優先順位 谷川うさ子 2011/10/24(月)10:39
    では、この「思想・哲学」を身につけている人と恋愛をして性的な関係を成立させれば、自動的に「自分」も同じ思想や哲学という知的な精神が「自分のものになるのか?」というと、必ずしもそうではありません。
 「良い」「悪い」「優れている」「劣っている」といった選択の能力や、判断力の形式的な水準は高くなりますが、「説明する」「伝える」「表現する」という『言葉の能力』『表現の能力』は、「自分自身の知的な意識」をそのように訓練して習得しなければ身につきません。
 この訓練とか習得ということが自覚的にしろ、無意識にせよ、ほとんど毎日、実践を強いられるという立場にはありますから、この意味では、恋愛(結婚も)の《関係性が豊かである》とはいえるのです。
 ついでに「第二位の行動にともなう倫理」の《媒介》についてもお話します。
 ご存知のこととおもいますが、「倫理」とは「行動」にともなって必然的にあらわれる「秩序意識」のことです。「倫理」としての秩序意識は、政府や地方自治体が立法化して権力の裏付けで施行している社会的な規範の秩序とは全く別のものです。
 具体的にどのようなものが「倫理」であるのか?といいますと、Pさんの恋愛のケースで例をあげてみますと、いったん「恋人の関係」になって「別れる」ということになりましたが、この、「別れる」という行動の選択は「倫理」としての秩序意識にもとづいています。
 Pさんは、元・彼が「親から説得されて別れることを決意した」と説明しておられますが、「自分の恋愛」を親であれ、だれであっても第三者に話して「相手は別れたくないのに、自分は一方的に別れることに決めた」のは、「自分の行動には自分が責任をもつ」「自分の行動によって、他者に不合理なダメージを与えない」という他者との関係を支える「安定」とか「安心」という、《信用》という内容の秩序の能力がとても信頼できがたい、という評価になります。
 恋愛関係にある恋人どうしが「別れる」に至ったというケースはたくさんありますが、この「別れる」という「別れ方」が「倫理」です。ここに秩序意識の形式と知性の内容があるのです。
 「倫理」というのは「教育」によって身につけるか、自分の知的なトレーニングによって身につけるかのいずれかで習得されるものです。相手が「別れたい」と申し出て別れることよりも、「自分の気持ちが変わったから別れたい」と申し出ることの方が、「倫理の能力のレベルは低い」のです。「親が別れろ、と言ったから別れたい」と申し出れば、これは「倫理の能力」を支える、「恋愛という関係性」を支えて維持していける知的な能力にはじめから欠陥があった、という評価になります。

[2908-6] ●恋愛の目的は二つ 谷川うさ子 2011/10/31(月)16:51
   ●恋愛の目的は二つ

 「恋愛」とは《心が生きる》ということに価値の本質があります。
 《脳神経学》の観点からの価値は、①心停止の不安の解消、②右脳にドーパミンを分泌させてノルアドレナリンを消して左脳を正しく働かせる、という二つの目的を本質としておこなわれます。
 この、①と②のうちのいずれかの目的に合致した性の関係の相手として選択した結果、成立するのが「恋愛」です。
 また、①と②のうちどちらが「恋愛の相手として価値が高い」のかというと、それは当然②のケースに該当する場合の恋愛です。
 ①の「心停止の不安」を解消することを目的にした恋愛は、もともと生育歴の中で「親」が解消させるべき「心停止の不安」であったものを「恋愛の相手」に解消の肩代りを求めている、というところに本質があります。
 ②のケースの「右脳のドーパミンを分泌させてノルアドレナリンを消し、左脳の知的な働きの水準を上げる」ことを目的にした「恋愛」は、自分自身が「社会性の世界」で適応し、よりよく豊かに充実していくという目的に本質があります。だから、万人にとって共通の「恋愛」の動機になりうるのです。
 「親が別れろと言ったから、別れる」というのは、①と②の両方ともの「恋愛の目的も動機も」もたずに恋愛に参加したことになります。「恋愛」をおこないうる年齢になると「親」の力で《心停止の不安》を解消できる時期はとっくに過ぎていますから、全ての「恋愛」は、「いつか心停止におちいるかもしれない」という不安と、「社会参加の中でつねに分からなさの不安を感じつづけていくかもしれない」という二つの不安の中で「生きている」というように根本的な知性に欠陥をかかえている、という問題の所在を示すのです。
 「倫理」とは、恋愛をおこなうにあたって心身を自立させて、自分一人が社会性の世界で正しく「生きていける」ための価値という内容を内包する秩序(信用)の意識(形式)であるのです。
 「恋愛」にとっての《媒介》になる「行動にともなう倫理」とは、「社会の中で自立できていて、自分と相手の心身を正しく生かしていけるための理性」が橋渡しになるということです。
 Pさんの体験された「終わった恋愛」は、「行動にともなう倫理」という《媒介》の能力がお互いに未成熟で、学習も不足していたことは明らかであるように思われます。

[2908-7] ●恋愛にとって「性の関係」とは何か? 谷川うさ子 2011/11/07(月)10:32
   ●恋愛にとって「性の関係」とは何か?

 次に、「第三位の性の関係」という《媒介》とはどういうものか?をくわしくご説明いたしましょう。
 「恋愛」といえばまず、「性の関係」があってあたりまえのようにおもわれているからです。しかし、すべての「恋愛」に「性の関係」が量・質ともに画一的に成り立って持続するか?と考えてみれば、恋愛の事実を観察すると「性の関係があってあたりまえである」とは断定できがたいようにみえます。
 そこで、ここで問題を根本からとらえなおしてみることにします。すると、「恋愛」にともなう《媒介》の「性の関係」については、最小限、つぎのことはまちがいなくいえるでしょう。

(1)恋愛にとっての「性の関係」とは、「性の関係」が事実として発生しているか、あるいは発生の見込みや予定があるかどうかはともかく、《性の関係》の対象として、お互いが、相手を特定化することである。
(2)恋愛にとっての「性の関係」とは、「性の関係」が事実として発生したり、継続しておこなわれることよりも《性の関係の対象》として特定化することに根本の本質がある。このことは、《性の関係》の体験の事実から生まれたお互いの「観念」に「性」の意味や価値がある、ということを示すのである。
(3)恋愛の中の「性の関係」の体験の《事実》から生まれた「観念」とは、これを「心的な性の関係」という。あるいは「性の心的な関係」といってもよい。
(4)「性の心的な関係」は、そこに《事実》として「性の関係」(性行為)が生じたかどうかはどうでもよくて、「自分は、相手にとって性の関係の対象である」「相手は、自分にとって性の関係の対象である」という《行動》による表現の一致、もしくは《言葉》による表現とその了解が成立していれば、恋愛としての「性の関係の本質を形づくる価値が生まれる」ということになる。
(5)お互いが「自分は、相手にとって性の関係の対象である」ということが、「性行為」の事実がない場合でも、《行動》による表現で了解の一致をみるということは何か?それは勉強とか仕事といった社会的な知性の相互交流が無くて、時間や空間の中の行動をただ《消費》するという場合である。これはふつう「デート」とか「会う」とか言われているが、ただ話すだけ、ただ飲食を共にするだけ、ただ一緒に歩くだけ、というようにあらわされる。時間や空間の中の行動がくりかえされて《消費》されるときに、「性の心的な関係」が発生する。
 「デート」や「会うこと」は何のためにおこなわれるのか?というと「脳幹」からドーパミンが分泌して発生して、「右脳」にドーパミンによる快楽状態をつくり、「期待される性の快感によって、なおドーパミンの分泌を促進する」ということが無意識の目的になっている。
 したがって、デートをしたり、くりかえし会って「時間や空間」の中の行動が「消費」されていれば、ここに性行為の体験が無くても、「性の心的な関係」が発生したのである、と定義づけられる。
(6)「恋愛」の中で「性の関係」が発生するのは、「右脳」が単独ではなくて「左脳」の関与によってドーパミンを分泌させてゆきわたらせるためである。(注・右脳が単独でドーパミンを分泌させる場合は、妄想である。)
 この性のドーパミンは、女性にとっては《心臓》の房室結節、洞房結節に伝わってきた緊張の解体や、《心臓》の自律神経の副交感神経が緊張を吸収する幅を広げる、という効果をもつ。
 男性にとっては、「性の関係」から生じたドーパミンによる緊張緩和、ならびに解体は《心臓》には到達せず、「左脳」によって「右脳」に分泌されたノルアドレナリンを解体する、という効果だけに限定されている。
 女性と男性に共通する「性の関係」から生じたドーパミンの効果は、「左脳」によって「右脳」に分泌されたノルアドレナリンを解体する、という効果だけに限定されている。
 女性と男性に共通する「性の関係」から生じたドーパミンの効果は、「左脳」によって「右脳」に分泌されたノルアドレナリンを解体する、ということだけである。
(7)したがって、「恋愛」の中で「性的な関係」が発生してここから「性の心的な関係」が生み出されるということは、女性にとっては《心停止の不安の解消》と《左脳・右脳のノルアドレナリンの解体》という二つが目的と必要性の根拠になる。
 また、男性にとっては《心停止の不安の解消》はどうでもよくて、《左脳による右脳のノルアドレナリンの解体》だけが目的となる。
 このことは、「恋愛」がスタートすればまず「心的な性の関係」が男、女の双方に発生するが、次に、この「恋愛」の関係の中で「性の関係」(性行為)が体験されるか、どうか?は女性と男性の両方で目的と必要性の根拠が心的な次元で一致しなければならない、という法則性がなりたつ。
 それは、女性にとっては、初めに《心停止の不安の解消》が目的と必要性になるから、性器の接合の反復を男性の側から提示してくれること、次に、《左脳》の働きがもたらすノルアドレナリンを解消して《右脳》にドーパミンを分泌させてくれる、という目的と必要性である。
 男性にとっての必要性は《左脳》の働きによるノルアドレナリンを解消して、《左脳》の働きによる《右脳》の働き方にドーパミンを分泌させてくれることだけが性行為の目的の全てになる。

[2908-8] ●新・恋愛論…脳神経学のしくみ 谷川うさ子 2011/11/14(月)11:17
   ●新・恋愛論…脳神経学のしくみ

 「恋愛」の中の「性の関係」についてのしくみと、「性の関係」の発生の必要性や目的についての本質を説明いたしました。
 ちょっと説明が抽象的でむずかしく感じられるかもしれませんので、Pさんの「終わった恋愛」にもとづいて分かりやすくお話してみます。
 「恋愛」とは、「性の関係の相手」を「特定の誰か」に特定化する、ということです。この「性の関係の対象を特定づける」ということは、ナンパされて相手の男や女の家に行って性行為をおこなうとか、ホテルに一泊して一回だけの性行為をおこなうということは含まれません。なぜか?といえば、ここには「デート」だとか、「会う」といったことがくりかえしおこなわれずに「性の心的な関係」が形成されていないからです。
 「性の心的な関係」とは、一緒に過ごす「時間」や「空間」の中の行動が《消費》されるという関係のことです。この「性の心的な関係」の中では何が生まれているのか?というと「自分にとって相手の異性は、性の関係の相手である。性の関係の相手として限定された相手である」というように「性行為」の「対象」であることが《イメージ》として明確になる、ということが生まれています。
 これは、たいへん重要なことなのです。どのようにか?といいますと、例えば「オナニー」を実行するときに、童謡の『ぞうさんの歌』を歌いながらでは「オナニーによる性的な快感」は発生しても、やがて消滅してしまいますが、これと同じで、「性行為の具体的なイメージ」が喚起されないと、性的な行為という行動には踏み込めないのです。
 「人間は誰でも自分が考えたことを実行して、考えないことは実行しないのである」という経験同一化の法則がありますが、この「自分が考えたこと」に該当するのが「自分は相手にとって性の対象である。相手は自分にとって性の対象として限定されている」という《性的な行為》(性の体験)のイメージです。
 なぜ、この「性の関係として特定化されている」という《性的な行為》のイメージが大切なのか?について説明します。
 『脳神経学』のしくみにむすびついているのが《性行為》のイメージです。
 まず、「左脳」から入ってくるのが精神活動(言葉や知識、論理、数字などです)です。これは「視床下部」の《性をしたい》という脳神経の中枢を刺激して《性腺ホルモン》を「脳下垂体」から分泌させて「血液」と「脊髄」の二つの伝達経路を通って「女性=子宮」、「男性=精巣」に到達します。
 ここで「性的な知覚の状態」が起こり、この性的な刺激の情報が再び「脳幹」(中脳)までフィード・バックされます。ここで「脳幹」のA神経からは《ドーパミン》が分泌されて、さらにドーパミンが「左脳」「右脳」の全体に伝達される、ということがおこなわれるのです。これは、かくべつ「性行為のイメージ」が「右脳」にイメージされなくとも起こる「人間の精神活動」にともなうドーパミンのホルモン活動です。
 この「第一次のドーパミンの発生」は、「ものごとに興味や知的な関心をもつ」という精神活動につながります。
 この「第一次のドーパミンの発生」は、「右脳」に分泌されて、左脳に入ってきた「言葉、知識、論理」といった《概念》に対応する《イメージ》(右脳で)が喚起されつづけるうちは「脳幹」(中脳)から分泌されつづけるのです。それは、「本を読むこと」「他者からレクチュアを受けること」「教師から説明してもらうこと」「講義を受けること」「教えてもらって指導してもらうこと」などによっても、「第一次のドーパミン」は分泌されつづけるのです。
 しかし、人間の精神活動は、「自分一人の力で精神活動をおこなう」レベルにまで進んでいくと、ある日突然、「右脳」に全く《イメージ》が思い浮かべられなくなる、あるいはキレギレにしか思い浮かべられなくなる、という段階にゆきつきます。
 それは、たいてい「左脳」に入ってくる「言葉」「知識」「論理」という概念の《秩序》の水準が高度になるためです。「右脳」に、「左脳」の概念に対応する《イメージ》が思い浮かべられなくなっているのに、それでもなお精神活動がつづけられれば、突如として、それまで「脳幹」(中脳)から分泌されていたドーパミンが化学変化をおこして『ノルアドレナリン』(猛毒)に変わります。
 この『ノルアドレナリン』は戦闘用のホルモンといわれていて、「心臓の心拍」を一気に、しかも急激に低下させます。「心臓の心拍」はそのまま低下させつづけると《心停止》にゆきつきます。したがって《心停止》の不安を感じれば、精神活動は中止せざるをえません。
 しかし、それでも「生きていく人生」の中では、《心停止》の不安を感じたからといって、そのたびに「学校の勉強」「仕事」「人間関係」のぜんぶを「中止してしまう」わけにはいきません。そこで、次に「第二次のドーパミン」の分泌が起こるのです。こんどは、直接的な「右脳」に《性行為のイメージ》をつくる、ということがおこなわれてドーパミンが分泌されるのです。

[2908-9] ●性の快感は「心臓」と「脳」のビタミン 谷川うさ子 2011/11/14(月)11:17
   ●性の快感は「心臓」と「脳」のビタミン

 ここのしくみは肝心なところですので、もういちどくりかえしてお話します。
 「女性」も「男性」も、精神活動はすべて、まず「左脳」で始められるのです。それは、「言語」「論理」「数字」「知識」という《概念》が「左脳」に知覚系統を通って入ってくる、というように始まります。この《概念》が、「脳りょう」という国境を通過して「右脳」に伝わって《イメージ》を喚起すると、「分かった」とか「理解した」とか「認識した」という《心的な了解》が成立します。
 この初めの「左脳」の精神活動の《概念》の受け容れという刺激は、もうひとつ、「視床下部」の脳神経の中枢にも伝わります。この「視床下部」では性腺刺激ホルモンを分泌させて「脳下垂体」から黄体ホルモンという「性腺ホルモン」を分泌させるのです。
 この黄体ホルモンが「男性」、「女性」とも《生殖器》に伝達されて、ここで発生した性的な興奮が再び「脳」にフィード・バックされて、「脳幹」のA神経からドーパミンを分泌させます。このときのドーパミンが「右脳」を気持ちよく、快感の状態に変えて、「左脳」から入ってきた《概念》をたちどころに《イメージ》に変えます。
 また《イメージ》が喚起されなくても、ドーパミンの効果で「興味をもつ」「関心をもつ」という関係意識が心的に発生しますから、「教えてもらう」「復習する」「調べる」「サジェッションやレクチュアがある」と、《概念》のイメージは、「類型の意味」や「類推の脈絡」というイメージづくりの意欲を取り込んでやがて、「右脳」は「正しいイメージ」を形成することができるのです。
 この「第一次のドーパミンの分泌」は、「左脳」から入ってくる精神活動の《概念》の水準が緊張をともなってだんだんと高度になるにしたがって『ノルアドレナリン』(猛毒)に化学変化を起こして変わるということが起こりますから、この猛毒化を防ぐために、「オナニー」による性の快感をおこして知覚の情報として性の快感を「脳幹」に伝達しつづけるとドーパミンが分泌されて、「右脳」に、「左脳」の高度な《概念》に対応するイメージが喚起されつづけるのです。

[2908-10] ●性の快感はドーパミンの分泌のために必要 谷川うさ子 2011/11/21(月)10:11
   ●性の快感はドーパミンの分泌のために必要

 ここでお話していることは、「性の関係」は一体、なぜ起こるのか?についての理論的な本質についてです。精神活動が生理的身体の肺や心臓の機能や能力の低下を引き起こすことが全ての「性的なるもの」の動因になっています。人間の精神活動は高度になっていくにしたがって誰もが《心臓の心拍の低下》を引き起こすのです。
 この《心臓の心拍》の低下は、「肺」の中に呼吸によって吸い込まれた空気が吐き出されず、自転車のチューブがパンパンにふくれ上がるようにふくれ上がって息詰まりの状態がおこって、「肺」の迷走神経(自律神経の副交感神経)を緊張させ、この《緊張》が「心臓」の房室結節と洞房結節にただちに伝達されるという《しくみ》によっておこるのです。
 《心臓の心拍の低下》は「心停止の不安」を意識させますが、しかし一方、精神活動を高度にしてどこまでも持続させるためにはどうしてもこの《心臓の心拍の低下》という相反する矛盾にぶつかることは不可避でだれもがまぬがれません。
 そこで、この高度化していく精神活動と、持続していく精神活動のためには「右脳」に「脳幹」からドーパミンを分泌させることがどうしても必要なのです。「脳幹」(中脳のA神経)からのドーパミンの分泌の根拠は、これまでの説明でお分かりのとおり、三つの段階に分けられます。

「第一次のドーパミンの分泌」…精神活動のスタート。「左脳」からの知的な精神活動が「視床下部」に伝達され、「性腺ホルモン」を分泌させて「生殖器」を興奮させる。この性的な興奮が知覚の情報として「脳幹」にフィード・バックしてドーパミンを分泌させる。
「第二次のドーパミンの分泌」…精神活動が「持続」するか、「高度化」して第一次ドーパミン分泌がノルアドレナリン(猛毒)に変わる。これはそのままでは「知的な精神活動」の停止を意味するので、再びドーパミンを「脳幹」から分泌させる必要がある。そのための方法が『オナニー』による性的なイメージもしくは直接的な性の快感の励起によって「右脳」にドーパミンを分泌させることである。これによってノルアドレナリン(猛毒)が消える。ここで再び「左脳」に対応した《概念のイメージ》(像)が「右脳」に喚起される。
「第三次のドーパミンの分泌」…精神活動が「長時間の持続」か、「極度の緊張をともなって高度化」して、第二次に分泌されたドーパミンがノルアドレナリンに変わる。すでに知的な精神活動を中止できない立場が発生しているので、ただちに《心停止の不安》が喚起する。『オナニーのイメージ』も『直接的な性の快感』もノルアドレナリンの作用で消滅する。
そこで、次の新たな対策として『オナニーのイメージ』の延長で、「性の心的な関係」をつくるか、オナニーの「性の直接の快感」の延長で「性行為」によるいずれかの、性的な快感が手に入れられて再びドーパミンが分泌される。この性の快感によって「右脳」へのノルアドレナリンの放出が止まる。また、「左脳」による「右脳」のノルアドレナリン(猛毒)も消滅する。

 このように見てきてお分かりになったとおもいますが、「性的な関係」とは、「女」にとっても、「男」にとっても、まず、「自分自身」の精神活動の結果、生じる「呼吸困難にともなう心停止の不安」と、「左脳の言語活動の働きの停止」という二つの動機が根拠になって発生するのです。
 また、「性的な関係」は、「女」と「男」とでは、どちらが先に《性行為》の必要性を早く自覚するのか?といいますと、「女の方が早く“性行為をおこないたい”と意識する」ことも理解されるでしょう。それは、「男」は「呼吸困難にともなう心停止」の不安は、どこまでも「男のガマンの能力」として身につけなければならないという身体構造のしくみにもとづいて遅い性的な意識の自覚になるのです。

[2908-11] ●性行為の自覚は「男」よりも「女」が早い 谷川うさ子 2011/11/28(月)12:50
   ●性行為の自覚は「男」よりも「女」が早い

 ついでですから、ここで《性行為》の必要性を「男」よりも、「女」の方が早く意識して自覚する、という理由を、「身体構造」の違いの根拠から要点だけをまとめてお話します。

①「女」は、全身に「性的な神経叢」がマスク・メロンのネットのように張りめぐらされている。「男」の「性的な神経叢」は《性器》の周辺だけである。このことは、「女」の身体は、快感(気持ちの良いこと)には良く、スムースに反応して、「痛み」「打撃」「スピードをともなって加わる圧力」には弱くて抵抗力が少ない、ということを意味する。
 一般的に、「女」の身体は、机の角などにぶつかると「青いアザ」ができやすく、「男」の身体には「青いアザ」(血管のうっ血)はできない、などの体験的な事実でもよく分かることである。
②この、「女」の生理的身体の表面にはりめぐらされている「性的な神経叢」と「男」の場合は《性器》の周辺だけ!!の違いは、「スポーツなどの動的な筋肉の活動」や「精神活動にともなう静的な筋肉の活動」の場合に、《心臓の心拍》の低下を引き起こす「肺」の呼吸活動の「無呼吸状態」が「男」と「女」では反比例の関係にある、ということを意味する。
 「男」の身体の全身の筋肉が「痛み」「苦痛」にたいして抵抗力があるということは、「無呼吸状態」(息を吐き出すという全身の筋肉による活動の能力)は、原則として「肺の活動を無限につづけられる」という方向性を持ち、「女」の身体の全身の筋肉が「痛み」「苦痛」にたいして抵抗力が弱いということは「無呼吸の状態」(息を吐くという全身の筋肉の活動の能力)が、原則として「たちどころに心臓を停止させる」という方向性を持つ、ということを意味する。
③この「男」と「女」の肺の活動の「無呼吸の状態」を維持する能力の違いは、《心停止の不安》を「女の方が、男よりも早く感知する」という「心臓から発生する緊張」の自覚の早さと遅さの違いを意味する。
 「女」と「男」が、仮に、同一の「年齢」で「初めて性行為をおこなう」ということの体験を比べてみるとすれば、「女」は、《心臓の停止の不安》を解消する!!という「性的な快感」の効果の緊張の解体のメリットを得るが、「男」は、《心臓》ではなくて、《左脳》のノルアドレナリン(猛毒)を消すか、《右脳》にイメージをつくるという『ドーパミン』による快感の効果のメリットを得る、という違いがある。心臓が停止する不安は早く男にも女にもやってくる!!という理由が「性行為」の必要性の自覚を「女の方が早く自覚する」という根拠になる。

[2908-12] ●性の快感はノルアドレナリン(猛毒)を消す効果 谷川うさ子 2011/11/28(月)12:50
   ●性の快感はノルアドレナリン(猛毒)を消す効果

 人間にとって、「勉強」や「仕事」が「分からなくなって不安になり緊張する」ことよりも、「勉強」や「仕事」が「分からなくなって心停止の不安を感じる」ことの方が、「これ以上はつづけられない。これ以上つづければ死ぬしかない」という思いに強くとらわれます。
 「勉強」や「仕事」が「分からなくなって不安になり、緊張する」ということは『右脳』に、『左脳』に対応するイメージがつくられなくなって、『脳幹』のB神経からノルアドレナリンが分泌される、ということです。これがどんな「男」でもぶつかる緊張症の原型です。
 また「勉強」や「仕事」が「分からなくなると、心停止の不安を感じる」というのは、『右脳』に、『左脳』に対応する《概念》のイメージがつくられなくて、『脳幹』からノルアドレナリンが分泌される…、これが肺の活動の「無呼吸状態」を慢性化させ、内臓神経節の緊張もひきおこして《腹膜》を緊張させる!!…その結果「夜、寝ている時も無呼吸状態」になり、極度の「不眠症」にまでつき進んでいく、ということです。これは「女」だけがぶつかる緊張症の原型です。
 「男」だけがぶつかる緊張症の原型の場合は、『左脳』によってノルアドレナリンが分泌されて、『右脳』にドーパミンが分泌されないために《イメージ》が喚起されないからといって、ストレートに《心停止の不安》におちいることはありません。
 《心停止の不安》におちいらない、ということは、『右脳』に《イメージ》をつくれないままに「勉強」や「仕事」に、「形式」だけ!!「形」だけかかわる!!という行動のしかたで、表面的には、いっこうに何の不安も感じていないかのようなそぶりをして「勉強」や「仕事」の現実に参加しつづけることができるということです。
 しかし、「女」の場合は、この、「形式だけ」!!「形だけ」としての参加のしかたで、「勉強」や「仕事」の現実にドーパミンが分泌されないせいで《イメージ》がつくれずに、『左脳』の働き方で『右脳』にも《ノルアドレナリン》(猛毒)を分泌させると、一気に全身の筋肉の緊張が高まります。すると自動的に《無呼吸状態》も急激に深まりますから、《心臓が止まる》という不安状態のボルテージがあがって「行動停止」におちいるのです。つまり「勉強」にも「仕事」にも参加できなくなる、という行動停止におちいります。
 ここで、仮に「男」の「女」も、それぞれが「性的な関係」をつくり「性行為」を体験した、ということを想定して比べてみます。すると、どういう違いがあるのか?といいますと、「男」にとっての「性行為による性の快感」は、ただ、『右脳』にドーパミンを分泌させて、『右脳』のノルアドレナリン(猛毒)を消滅させる、という意味をもちます。しかし、その結果、『右脳』に、「左脳」に対応する《イメージ》がつくれるかどうか?は保証されるわけではないのです。
 ですが、まちがいなくいえることは、これまで「形だけ」でも参加していた「勉強」や「仕事」とのかかわりは、「ノルアドレナリン」が消えたおかげで、それまで「暗く」「きつく」、「憂うつ」に感じられていたものが、一変して「明るく」「楽しく」感じられるようにはなるのです。
 「明るく」「楽しく」感じられるようになったために、「勉強」や「仕事」に興味をもてたり、関心をもって意欲的になれば、『右脳』に《左脳》に対応する《イメージ》をつくれるようになるかもしれません。かりにそうではないとしても「勉強」や「仕事」との「形だけ」のかかわりが洗練されたり、充実して感じられるようになるかもしれません。
 一方、「女」の場合は、「性行為」にともなう性の快感は、たとい今、ここで体験している「初めての性の行為」による性の快感は期待したほどではなくても、やがていつか「性の快感」が享受できるということはハッキリ期待できますから、この性行為は《心臓が止まる》という「不安」の解消にむすびつくのです。性の快感が、「子宮」から「内臓神経節」「腹膜」を通って上昇していき、《性の快感》は『心臓』の房室結節、洞房結節にまで到達して、「心停止の不安」を解消するというハイウェイが完成したからです。

[2908-13] ●「見合い」と「恋愛」のルールの違いの本質 谷川うさ子 2011/12/05(月)11:17
   ●「見合い」と「恋愛」のルールの違いの本質

 ここで、「性の関係」の問題を、Pさんの「終わった恋愛」に即してご一緒に考えてみましょう。
 Pさんからの「メッセージ」の欄を拝見しますと、「性の体験はない」とご記入いただいています。これは、書かれているとおりに判断しますと、Pさんはこれまでに「恋愛の経験」は無くて、このたびのご相談の「一年間で終わった恋愛」の中でも「性行為の体験」は無かった、ということになります。
 このことは、これまでのご説明から二つのことを意味します。
 一つは、《心的》には「自分はこの男性の性の対象である。相手の男性は、自分にとって、性の対象である」と限定して選択された、という意味です。
 もう一つは、《心的には性の関係》は、デートや、待合わせて会って『時間』や『空間』を心的な性の関係だけを媒介にして《消費》してきたのだけれども、しかし、直接的な《性行為》には「踏み込まなかった」という意味です。
 問題は、一体なぜ、Pさんと、「元・彼氏」との間に「性の関係」が発生しなかったのか?というところにあります。
 普通、言われがちなのは「結婚するまでは、性行為はやるべきではない」という「婚前交渉の禁止」です。この考え方も成り立つように思われます。しかし、この「婚前交渉の禁止」は、もともと、「日本人の結婚の方法」の『お見合い』のシステムから発生しているものです。
 『お見合い』は、「紹介者」がいて、この仲介者の立会いのもとに『婚約』がととのい、しかるべき期間をおいて『結婚』する、というシステムです。これは、『恋愛』とは全く区別されるもので、「男」と「女」の《心的な関係》を切り離して、『生理的身体』だけが《生きていく》ための『結婚』というところに根本の本質があります。
 したがって、『お見合い』の場合は、『恋愛』と違って「好き」とか「愛している」といった《心的な関係》はどうでもよくて、ただ「嫌いでなければよい」「一緒に住めればよい」というのが「成立の条件」です。『お見合い』による「デート」で、ここに《心的な関係》を持ち込むのは重大な「ルール違反」です。「手を握る」ことはもちろん、「キスをすること」「性行為をおこなうこと」は「違反行為」になります。
 ついでにいいますと、『恋人紹介』のビジネスがあります。「入会金」を支払って、「男」「女」のそれぞれが「会員」の中から「自分の希望の条件」に合う人を「紹介」してもらって「デート」を重ね、「気に入ったら」、『恋人紹介』の機関に報告して『結婚する』ということを目的にしたビジネスです。
 この『恋人紹介』の機関をとおして「デート」をすることも『お見合い』と本質は同じです。したがって、「手を握ったり、キスをすること、性行為をおこなうこと」は「規約違反」ではないかもしれませんが、「第三者の仲介」が介在しているという点から考えると「社会的な本質のルール違反」にはなるのです。
 このルール違反からは、どういう不都合が生じるのか?といいますと、「電車の中で性行為をおこなう」ことが刑法一七五条違反であるのと同じように、「第三者」に象徴される社会性の世界の関係の中にある規範を逸脱する性格形成に通じていくのです。
 したがって、『結婚紹介の機関』をとおして知り合った「男」と「女」が、仮にデートの中で「性行為」をおこなった場合、その結果、「同棲」なり「結婚」なりをしても、ここには、「男は、女にたいして“社会的な責任”や“道義的な責任”は果たさない」という障害がおこりますし、「女は、男にたいして“緊張”を感じて離人症の関係しか成り立たせられない」という病を感染させる関係の日々を暮らすことになるのです。
 「女」は「男」の言葉や行動にたいして無意識のレベルで「疑い」をもち、「何を考えているのか分からない」という『不安』の中で、不安な関係を継続することになるでしょう。
 これと同じ障害や病理は「ナンパされた女、ナンパした男」どうしの中の《恋愛》の中でも起こります。「ナンパ」とは、必ずしも「通行している女」に「声」をかけてデートに誘い、その日のうちか、数日後に「ホテル」に誘って「性行為」をもつということばかりではありません。
 「大学生や高校生」が「合コン」の中で「デートの相手を物色」して《恋愛関係》へのもちこみを誘って合意し合うことや、「大学生や高校生」の女子が「授業を教える“教師”」の「教室」や「学校内」で一方的に憧れてやがて《性的な対象》として《心的》に決意してアプローチしていくことも、じつは「逆ナンパ」であるのです。
 「サークル」や「教室のクラス・メート」と“対話”して勉強や学的な内容を“媒介”にしてやがてお互いが『恋愛の対象』として了解し合うことは、これは、「生徒どうし」「教師と生徒の間」であっても「ナンパ」ではありません。ここには「性の心的な関係」をお互いに「特定化」し合う《心的な関係》の枠組(対(つい)の関係意識)が設定され合っているからです。
 「ナンパ」および「逆ナンパ」(女性が男を捕捉すること)には、それは「恋愛」ではあっても、ここには共有されるべき《性の心的な関係》は発生しません。ここが最大の違いです。

[2908-14] ●男のナンパ、女の逆ナンパの脳神経のしくみ 谷川うさ子 2011/12/12(月)08:58
   ●男のナンパ、女の逆ナンパの脳神経のしくみ

 「男」が「女」を「ナンパする」という場合、これを脳神経学の観点から考察すると、男の「右脳」に「脳幹」から『ドーパミン』を「過剰」に分泌させる、ということが目的になっています。「左脳」に入って来る知的な概念がどうしても「右脳」で「イメージ」をつくれない、という局面にぶつかります。この時、この「男性」は「左脳」に対応している社会性の知性の対象(仕事、学校の勉強、人間関係)と「形式的」にしかかかわれなくなっています。
 このまま、「形式的なかかわり」をつづけていくと、「左脳」と「右脳」に『ノルアドレナリン』(猛毒)が分泌されて、全身が猛毒状態になります。
 それは、『心臓』の心拍を低下させ、《心停止》のラインにまで下降しつづけますから、ここで「左脳」が対応している『社会性の知性の対象』(仕事、学校の勉強、人間関係の規範となる秩序など)とのかかわりが『中止』を招くのです。この「形式的なかかわり」の結果の精神活動の中止という放棄を防ぐために、「左脳」が受け容れている概念とは全く無関係の『右脳』だけに独自の『ドーパミン』を勝手に発生させる、というのが「性的なナンパ」の目的です。
 「ナンパでも、くりかえしデートすればそこには愛情というものが生まれて“心的な関係”も生まれてくるのではないでしょうか?」とお思いかもしれません。しかし、残念ながら《心的な関係》は生まれないのです。その理由は、「性的なナンパ」では、「男」の『左脳』の概念に対応する『右脳』の「イメージ」が生まれないからです。
 「ナンパの性的な関係」では右脳に『過剰なドーパミン』がつくられます。
 くりかえしデートを重ねれば重ねるほど『過剰なドーパミン』は《躁病》のイメージ(空想=妄想)として強化されます。『左脳』で対応している『社会性の世界の知性の対象』(仕事、学校の勉強、人間関係)にたいしての理解や認識の距離が拡大して《分裂病の症状》を形成していく可能性があります。
 では、「恋愛」の中で「男性」にとって《心的な関係》が発生する『性的な関係』とは一体、どういうものか?といいますと「男」の『左脳』に対応している「社会性の知性の対象」(仕事、学校の勉強、人間関係の知性の水準など)の《言葉》が「女」にたいして語られたとき、この《言葉》(=左脳に入ってくる概念)が『右脳』で「イメージ」になるか、右脳に『ドーパミン』が分泌されるような「笑顔」を『女性』が知的にあらわせる、というときに、《性としての心的な関係》が生まれます。
 では、「女性」のおこなう「ナンパ」つまり「逆ナンパ」にはどういう意味があるのでしょうか?
 「女性」の「逆ナンパ」には二種類あります。
 一つは、「女性」がまだ「バージン」である場合の「逆ナンパ」です。このケースでは、『左脳』に対応して『右脳』に《イメージ》がつくられなくなり、その結果、《ノルアドレナリン》(猛毒)が右脳から左脳への全体に分泌されるため、《心臓》の心拍が低下して《心停止の不安》が意識される、という動機が「逆ナンパ」の根拠になります。
 バージンの「女性」は、ここで、「オナニーの体験者」と「オナニーの未体験者」の立場に分かれて、二通りの「逆ナンパ」の選択がおこなわれます。「オナニーの未体験者」の女性は、これまで『右脳』に《性のイメージ》が思い浮べられなかった女性のことです。この女性は、社会性の知性を象徴する『男』とのかかわりを正しく自覚できなくて、それまでの「形式だけ」の社会参加も「中断」し、「呼吸困難」を理由にした《緊張症→分からなさの不安》→『分裂症』(離人症)の中で幼児性の世界に退行化していくか、「苦痛」による精神の覚醒によって「形式だけの社会参加関係」にしがみつこうとするかの、どちらかの方向に進んでいきます。
 一方、「オナニーの体験者」(約65パーセントの女性がオナニーの体験者の立場です)の女性は、これまで『右脳』に《性のイメージ》を「思い浮かべてきた」という心的な体験に最大の特質があります。この『右脳』に《性のイメージ》を「思い浮かべてきた」という体験は、「過剰なドーパミン」を分泌させて、「躁の病理の“空想”」をつくってきた、ということを意味しません。せいぜい、『右脳』に「ドーパミン」を分泌させて「ノルアドレナリン」(猛毒)を消してきた、という《知的な意味》しかもちえないのです。

[2908-15] ●自律神経の症状は内容は分からないのに形だけのかかわりが原因 谷川うさ子 2011/12/19(月)09:24
   ●自律神経の症状は内容は分からないのに形だけのかかわりが原因

 この《知的な意味》とは、『左脳』に対応する「社会性の知性の対象」(仕事、学校の勉強、人間関係など)とかかわった結果、これらの対象の概念の情報がいつも『右脳』に「イメージ」として「思い浮かぶ」とは限らないので、このときの、「イメージ」が「思い浮かぶ」とは限らない局面で右脳に発生する「ノルアドレナリン」(猛毒)を消滅させる効果を生む、という『オナニー』による《性のイメージ》の効果のことです。
 「ノルアドレナリン」(猛毒)の分泌は、仕事でも勉強でもいいのですが、精神活動をおこなうと、誰でも「無呼吸状態」になるという必然から《心停止の不安》の域に近づいてゆき、ここで生じる《緊張》(自律神経の副交感神経が《緊張》を感知して『中脳』に緊張の知覚の情報をフィード・バックさせて“B神経”からノルアドレナリンを分泌させるのです)が、いつでも「ノルアドレナリン」(猛毒)が分泌するというしくみになっています。
 「オナニーの体験をもつ」女性は、『左脳』に対応する「社会性の知性の対象」(仕事、学校の勉強、人間関係など)とかかわりつづけると《心停止》の不安の頻度が高くなる、という道のりをたどります。この不安の発生は、「オナニーの未体験」の女性も同じです。
 《心停止の不安》がしょっちゅう起こるようになると、“B神経”から『ノルアドレナリン』(猛毒)が分泌されます。これは『右脳』に「左脳」に対応する「イメージ」が喚起されない状態が続く、ということです。同時に、「社会性の知性の対象」(仕事、学校の勉強、人間関係のどれか、です)と、「形式的にだけ、かかわる」という参加のしかたになります。
 これは「左脳」にも「右脳」にも『ドーパミン』は全く分泌されず、『ノルアドレナリン』(猛毒)だけがいつもあふれかえっている状態のことです。ここでは、「呼吸困難」と《心停止の不安》で緊張度が高くなり、いつでも社会参加の「行動停止」の限界の危機に直面しつづけていることになるのです。
 「行動停止」とは、不登校、登校拒否、仕事からのリタイア、対人恐怖といった危機のことです。ここでは鬱にともなう「自律神経系」の症状が併発します。だから「オナニーの未体験の女性」よりは《神経症》の症状が大きく、深くなり行動を止めるのです。
 「社会参加の行動停止」を自覚させる「鬱」の自律神経系の症状とは、ざっと、次のようなものがあげられます。

●鬱の症状としての自律神経系の症状
《全身症状》…①全身の倦怠感、②疲れ易い、③熱っぽい、④のぼせ、⑤冷え性、⑥寝汗をかく、⑦焦燥感がある、⑧涙が出やすい、⑨もの忘れしやすい、⑩肥満、⑪るいそう、など。
《神経筋の症状》…①不眠、②目まい、③耳鳴り、④頭重、⑤偏頭痛、⑥背痛、⑦腰痛、⑧肩こり、⑨知覚過敏、⑩知覚鈍麻、⑪手指・眼瞼の振せん、⑫脱力、13筋緊張、14筋マヒ感、など。
《循環器の症状》…①動悸、②息切れ、③頻脈、④徐脈、⑤血圧、および脈拍の動揺性、⑥湿潤、⑦浮腫、⑧胸内苦悶、など。
《呼吸器の症状》…①呼吸促拍、②呼吸困難、③せき、④ぜんそく、⑤神経性しゃっくり、⑥上気道が感染しやすい傾向、など。
《消化器の症状》…①食欲不振、②よだれ、③悪心、④嘔吐、⑤過酸症、⑥腹部の不快感、⑦膨満感、⑧胃けいれん、⑨習慣性便秘、⑩神経性の下痢、など。
《皮ふの症状》…①多汗症、②無汗症、③じんましん、④とりはだ反射亢進、⑤皮ふのかゆみ、など。
《泌尿・生殖器の症状》…①頻尿、②残尿感、③排尿感、④神経性の多尿および乏尿、⑤夜尿症、⑥性欲障害、⑦性機能障害、など。
(『新内科学大系』十三巻より)

 ここに示している《自律神経》の症状のどれかを自覚すると、それは、「肺に息が吸い込まれたままで息詰まり状態」の呼吸困難(=無呼吸状態)になって、その結果「心停止の不安」が継続的に続いている、ということが社会参加の行動停止の根本の発生の原因になっていると考えてよいのです。
 これらの「自律神経系の症状」は、誰が考えても「社会性の知性の対象」(仕事、学校の勉強、結婚生活、育児など。友人などの人間関係や恋人との恋愛関係も含みます)との《かかわり》を停止させるブレーキになることがよく分かるでしょう。
 「オナニーの体験を持つ女性」は、このような社会参加の知性の対象との《かかわりの停止》を回避するために、今までの「オナニーの中の性のイメージ」を『欲求』の次元に高度化させるのです。それは、「オナニー」による《性のイメージ》によって『右脳』に分泌されていた『ドーパミン』をよりいっそう強力に分泌させることが目的になります。

[2908-16] ●女性が「性をしたい」と自覚するしくみ 谷川うさ子 2012/01/16(月)10:34
   ●女性が「性をしたい」と自覚するしくみ

 「高度化」とは、現実の中の「男」を右脳の《性のイメージ》に採り入れる、という方法のことです。脳神経学的にいうと、「現実の中の“男”」を「オナニーのイメージ」に採り入れると『視床下部』の「性をしたい中枢神経」を刺激して「性腺ホルモン」を分泌させる、という作用がおこります。このホルモンが「生殖器」に伝達されると、「性の快感の知覚」が情報として『右脳』へとフィード・バックされます。この情報が、『脳幹』の“A神経”から『ドーパミン』を豊富に分泌させます。
 女性が「オナニーによる性のイメージ」に「現実の中の“男”」を採り入れるということは、「性のイメージ」がより「リアル」に「鮮明になる」ことに意味があるのではありません。それは、「性をしたい欲求の対象」を「はっきり自覚する」ということに本質的な意味があります。
 《欲求》には『食欲』『休息欲』が生理的身体に属しているものですが、《性の欲求》も『食欲』と同じように、その実現のために「欲求の意識」が「現実に向かって投射される」のです。「欲求」の本質は、「生きるための必要」が今、欠如しているのでこれをただちに実現させる、というところにあります。これは、《性の欲求》の場合も同じです。《性の欲求》が『食欲』や『休息欲』と違うところは、「生理的身体の生き死に」とは直接、かかわりがないという点です。 
 《性の欲求》は「心や精神の生き死に」という鬱(行動停止)に関与するのです。
 「心や精神の生きること、死ぬことへの関与」とは、肺の自律神経の副交感神経の緊張を生む《無呼吸状態》がつづくこと、その結果《心停止の不安が恐怖に発達すること》です。さらに『左脳』に入ってくる「社会性の知性の対象」の概念を『右脳』で「イメージ」を喚起させられなくなったことが「精神の死」に通じていくのです。
 それは、一気に「自死」へとむすびついていかなくても、「分裂症」や「躁病」へと《精神》が異常化されて、ここから『うつ病』へとかけ下って、ここで「自律神経系の症状」による制御が利かなければ《自死》に結実していく、というように妄想をともなって退化していきます。
 《性の欲求》は、このような『心』や『精神』が《死》へと傾斜していくことを防ぐというところに根本的な本質があります。「オナニーの体験のある女性」は「無呼吸状態」から生まれる《心停止の不安》が、《心停止の恐怖》に変わっていく不安定さに動揺して深刻に欲求を自覚するのです。《性的な欲求》は、すでに「性的な体験」(性行為)をもっている「女性」よりも未体験の女性の方が切実に心停止の不安の回避の必要性として自覚します。
 《性的な欲求》を自覚した「オナニーを体験している女性」は、「オナニーのためのイメージ」の中に「特定の男性」を思い浮かべたかどうかとは全く無関係に、「性的な欲求の対象」としての「男性」に向けて「欲求の意識」を《投射》させます。
 ふつうの言い方をすると、「好きな男」「好きになれそうな男」を探して、物色するのです。「女性」が(男性も)、「あの人が好きだ」「あの男を好きになった」という言葉の表現をしますが、このときの「好き」という言葉には、「自分の“心臓”の心拍の低下を緩和させるために“性交”をしてくれそうな男のことである」というように、どこまでも『生理的身体』の物理のレベルに限定した「引き寄せ」と「アプローチ」の意味しかありません。
 つまり「心や精神」の次元で「好き」なのではなくて、『食欲』や『休息欲』と全く変わらない性質での「好き」という言葉の意味であるのです。したがって、極端にいえば、このときに「物色される男」(=性の対象)とは!誰でもよいのです。
 このことは、「無呼吸状態」になって、『心停止の不安』を、身体の「機能的な原因」か、「器質上の原因」かのどちらかの理由で意識せざるをえない「女性」は、たとい、『性の体験者』であっても、この女性にとっては『心停止の不安』の解消をつねに欲求していますから、「誰でもいいから一日も早く、毎日“性の関係”をもちたい」と無意識に考えていることになります。

[2908-17] ●「性行為」を必要とする身体をもつ女性 谷川うさ子 2012/01/26(木)14:30
   ●「性行為」を必要とする身体をもつ女性

では、身体に《心停止の不安》をつくる「機能的」か「器質的」かの原因をもつ女性とは、具体的にどのように判断されるのか?を説明します。

●女性の身体に「性をしたい原因」を形成している要件
(1)中学生、高校生の「年齢」で《性行為》の体験を持った女性、
(2)専門学校、短大、四年制大学の「在学中」に《性行為》の体験を持った女性、
(3)「学校」を「中退」したか、「不登校」におちいった女性、
(4)「二人以上」の「男性」との《性行為》の体験がある女性、
(5)身体に『自律神経』の症状がある女性。
 もしくは「23歳」を過ぎて、「性的に未体験」の女性、

 ここにあげている要件の中で、(3)と(5)の要件に該当する女性は全て『性体験』を持っているとは限りません。しかし、(3)と(5)にあてはまる女性が仮に《性行為》の体験をもったとしても必ず、一生、《心停止の不安》からまぬがれない、という器質の原因をもっていることに違いはありません。この(1)(2)(3)(4)(5)の要件に該当する「女性」の特質は「知的精神活動」をおこなっても、ある一定の水準以上を超えて踏み込めない、という『限界』をもっていることです。
 それは、『左脳』に対応している「概念」(論理、抽象的な言葉、体系的な思考、など)にむすびつく『右脳』の「イメージ」が「どうしてもつくれない」、「ムリに努力すると“中脳”からノルアドレナリン(猛毒)が分泌されて、“心停止の不安”におちいって、精神活動が停止する」というように「限界」が自覚されるのです。 
 ここで「身体の機能的な原因」による『心停止の不安』とはなにか?について説明します。
 それは「胎児の時期」「幼児期」「小学生」の“年齢”の段階で《母親》から直接および間接的に《緊張させられる》という弾圧を加えられて肺から《心臓》に伝わってきた迷走神経の房室結節、洞房結節の《緊張》をクッションのように吸収する心臓の『自律神経の副交感神経』の吸収能力が低い、という意味です。
 また、「身体の器質的な原因」による『心停止の不安』とは、「幼児期から中学2年生」くらいまでの年齢の時期に《父親》が《不在》の家庭環境にあった女性があてはまります。おもに「学校の勉強」を中心とする《社会性の世界》からの正当な知的緊張に直面したとき、《心臓》にやってくる《肺》からの『迷走神経』の《緊張》を吸収する『自律神経の副交感神経』の緊張の“吸収能力”が低い、という意味です。
 この、『身体の機能的な原因』と『器質的な原因』のどちらか、あるいは両方とも内包している女性は、仮に『性行為の体験』(性体験)があっても、「学校」「仕事」「同性の“女”との人間関係」「結婚」「育児」という“知的な対象”と継続的にかかわりをもてば、つねに《心停止の不安》を感知しつづけるのです。
 これらの二つの原因が身体に該当する女性は、《性の欲求の対象》の「男性」ならば「誰でもいいから性の関係をもちたい」と考えます。あるいは、「毎日、性の行為をもちたい」という《性の欲求のイメージ》を現実の中に《投射》していると考えていいのです。これは、《心停止の不安》の解消が《性の欲求の根拠》になっているためです。したがって、「性の関係が持てそうな気に入った男性」を『好き』になることはあっても、「心や精神が生きる」という根拠の次元で『安心』を生むために相手の「男」を『愛する』ということを真の意味で理解することは永遠にありません。

[2908-18] ●「愛」を一生、分からない女性と分かる女性の違い 谷川うさ子 2012/01/31(火)10:53
   ●「愛」を一生、分からない女性と分かる女性の違い

 ところで、「男なら誰でもよい」あるいは「好きになった男とならいつでも性の関係をもちたい」とはぜったいに《考えない女性》のタイプはいないのか?とお考えかもしれません。それが、いるのです。このタイプの女性とは、具体的には次のような女性群(タイプ)です。

●「好き」と「愛する」を区別できる女性の要件
①原則として、すでに《性の体験のある女性》である、
②『左脳』から入ってくる『概念』(論理、知的な原語、数字などの知性のことです)を、どうしても『右脳』に『イメージ』として《思い浮べなければならない》という必要と根拠を持っている《女性》である、
③《性的に未体験の女性》でも、“父親”との“関係”が幼児、小学生、中学生の時期に心的に安定していたため、『社会性の世界』と正しく適応できている《女性》である、
 といった要件と、社会的な位置を持つ女性が該当します。
 この、①②③の要件に当てはまる《女性》群は、自分自身のオナニーによる努力によっては、せいぜい《心臓の停止の不安》を解消することはできても、しかし、『右脳』に、《左脳》から入ってきた《概念》(論理、知的な言語、抽象度の高い言語、統計的な数字、などの知性のことです)に対応する『イメージ』を、どうしても自力ではつくることができない、という“限界”を意識しています。
 そこで、①②③の要件と社会的な位置の上に立っている女性は、この限界の壁を越えるために、『右脳』に、《左脳》に集中してやってくる『概念』に対応する『イメージ』をつくってくれる『男性』と《性行為》をもつことだけが、「自分の今の“社会性の世界”からの孤立の状態を突破し、超えていくゆいいつの方法である」という《心的な性行為》の必要を自覚するのです。
 「好き」ではなく、「愛」が分かる女性の存在は、『性の関係』とは、もともとA物理としての直接的な身体レベルでの《性の関係》と、そして、もうひとつ、B心的な《性の関係》との二つで二重に成り立っている、という本質に立脚しています。
 《心臓》の《心停止の不安》の解消を、自律神経のレベルで無意識の目的にする「性の関係」を求める女性は、Aの『物理としての直接的な身体レベル』での《性的な関係》だけを欲しがる女性です。このような《性的な関係》の意識をもつ女性は、「対象としての男性」を『好き』という了解の言葉で表現しますが、しかし『愛する』という認識を持つことは一生できません。

[2908-19] ●「愛」を一生、分からない女性と分かる女性の違い 谷川うさ子 2012/02/07(火)10:14
    もし、この女性が『愛する』という理解をもつことがあるとすれば、それは、この女性が「学問」や「仕事」との葛藤能力の水準を自力で向上させて、《左脳》の概念に対応する『右脳』での『イメージ』を「どうしてもつくらなければならない」という必要の立場に立った日に、その『好き』であった『男性』との対話やコミュニケーションを《社会性の世界》に見合うレベルで成立させられた時、であるのです。
 また、Bの「心的な《性の関係》」とは、原則的には、すでに《性行為》の体験を持つ女性が、次の「二番目の男性」に向ける「性的な対象意識」のことです。しかし、《性行為の体験》が無ければこの「心的な性の関係意識」は発生しないのか?というと必ずしもそういうわけではありません。
 「くりかえしデートを重ねる」とか、「仕事や勉強などの“媒介”」が無いのに、たんに「会う」とか「話す」というように《時間》や《空間》の共有がただ『消費』されていくときにも《心的な性の関係意識》は発生します。
 では、《性行為の体験》がある場合と、無い場合の「媒介の無い“消費”の共有」の「心的な関係意識」とはどのように違うのか?といいますと、それは、《性体験》をもつ女性は、「社会性の世界」に適応していくうえで《性の関係》を直接に必要としている、と考えていることになり、《性体験》の無い女性は、単に「動機」として必要の考えをもつにすぎない、という「違い」になります。
 《性体験》の無い女性は、《心停止の不安》が無くなれば自分は「社会性の世界」とうまく適応できる、と錯覚しています。しかし、すでに《性行為の体験》を持っている女性は「性行為だけの関係で“社会性の世界”に自分が適応できると考えるのは錯覚にしかすぎない」と考えています。
 「社会性の世界」と正しく適応していくためには、『左脳』に入ってきた《概念》にむすびつく『イメージ』を『右脳』につくらなければならない。今、それが自分一人の力では困難なので、《性の関係》をとりきめてこれを《媒介》にして、相手の“男”の知性の語る言葉を摂取して右脳に『イメージ』を喚起させるしかないと《愛》の根拠を考えているのです。
 もちろん、ここでこのように「考える」ことはいちいち自覚的な言葉で考えられているわけではありません。それは。無意識に「男」が物色され、選別され、選択された結果、《心的な性の欲求の対象》という目的をもった「男」に接近してゆき、『時間』や『空間』の“消費の共有”の実行までアプローチがくりかえされる!!というように「実現」されるのです。
 ここで、《心的な性の関係》はどのように成立するのか?といいますと、「女性」が、「男性」の語る『知性の言葉』(仕事であっても、勉強であってもいいのです。ただし、“遊び”の言葉は《心的な性の関係》の媒介にはなりません。《物理としての直接的な“性行為”》の“媒介”になりうるだけです)を、デートや、くりかえし会う、作為的に作り上げられた名目としてのデートの中の性的な欲求の目的の中に取り入れ、(質問するとか、たずねるとか、学ぶ、などのことです)、これを《話題》にしていく!!という実行のしかたで成立します。これが『右脳』に『イメージ』をつくることを無意識の動機の上目的にされた《心的な性の関係》の成立であるのです。
 そして、この『女性』の『右脳』に、《左脳》に入ってきた「勉強」「仕事」「人間関係」などにかんする《概念》に対応する『イメージ』が明確に、鮮明に、その『男性』の語る「言葉」によって思い浮べられたとき、この『女性』は、その《心的な性の関係》の相手の『男性』を「自分は目の前のこの“男性”を“性の対象”にしているし、しかも《愛しているのだ》」と考えるのです。

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