[3806-2] 谷川うさ子 2015/11/02(月)11:23 修正時間切れ
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ポルソナーレの「脳の働き方のメカニズム」を解明した理解にもとづくと、日本人の被害妄想は、分裂病のカテゴリーにあります。 人間関係は、「行動」と「言葉」の二つで成り立っています。この「行動」と「言葉」が不一致のときに分裂病が起こります。 たとえば、誰かと話をしているとき、相手の人が「今日はいい天気ですね」と話したとします。これにたいして「昨日は雨でしたね」などと話すのが、分裂病の原因です。相手の話を前提にして自分も話すというときの「自分の話」が行動です。この話すという行動を「会話」という関係の中で「一致させる」ということがない、それが分裂病です。
被害妄想は「自分の話したいことを一方的に話す」というときに生み出されます。日本語の特性は、「内扱い」と「外扱い」の話し方をつくります。 「外扱い」とは、会話のルールにのっとった話し方のことです。「内扱い」とは、自分の「欲求」や「感情」(自然性といいます)を「自分で尊敬して、どこまでも尊大にあらわしていく」という話し方のことです。 相談の事例に述べられている「敵対視する」という話し方です。 自分が「内扱いの対象」と見た人には、バカにした態度、話しかけられても無視するというのが「自分の感情や欲」を「自分で尊敬する」という態度、行動です。
「被害妄想」(物盗られ妄想、嫉妬妄想なども被害妄想です)は、長山玉美さんが言っているように、「母親が、子どもの顔、目を見ない」「ソッポを向いて話す」「あらぬ方向を見ながら話す」ということをおこなうと、母親と子どもの両方につくられます。
日本語は「ル」「ラル」の助動詞が尊敬語をあらわすように、「自然成立」を高く評価して、「尊敬の言い方」にしています。「ソッポを向く」「相手の顔、目を見ない」も、目と耳の自律神経の交感神経が働いていないので「自然性」を本質とする副交感神経が優位に働いています。すると自分の感情、欲という「自然性」を自分で尊敬して尊大にイバることになるのです。
長山玉美さんは、母親から「バカにされている」と感じ、ここで自分は「被害者だ」と思い、自分自身も「母親の顔、目を見ない」という中で「敵対する自己」の妄想を恒常的に思い浮べるようになっています。 「自分の顔、目を見せないことが、やがて認知症の周辺症状になる、というアドバイスをいただいたので改めました。今では、母親とも、学校の友人とも楽しく会話ができるようになれてとても幸せです」と長山玉美さんはお話します。
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