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西野亮廣(にしの あきひろ)が 日刊ゲンダイ(平成 30年3月1日)、 「正直者のつぶやき」で 「歩きスマホの 何が悪い? 公共マナーって 何だ?注意 する人は、 気持ち悪い」と いっている。 「周りの人は、歩き スマホに合わせろ」 とも。
●西野亮廣「歩きスマホ」を怒る人って「気持ち悪い!」
西野亮廣(にしのたかひろ)は、「ながらスマホ」についてこういっている。 「歩きスマオの人は、視野の広さが全然違う。前から人が来たなと分かっている。 もう生き物としての形、目の構造が変わっている。 歩きスマホでは前が見えないという前提が正しかったら、もっと人が死んでいる。 ホームから落ちているし、ぶつかっている」。(日刊ゲンダイ、平成30年3月1日号、「正直者のつぶやき」)。
●「歩きスマホ」の人の脳の働き方「視覚と聴覚のしくみ」を説明する
西野亮廣のこの説明は、デタラメ以上のなにものでもない。 脳の働き方から見た「目の働きとしくみ」、「耳の働き方としくみ」が何も分かっていないのに偉そうなことをイバって言っている、というのではない。 「歩きスマホを行う人」は、スマホ(デバイス端末も)の「画面」に何を見ているのか?という問いの前提が無い。 ただ、「見ながら歩き」の「行動」だけをとらえて「注意する人」「怒っている人」に対して「気落ち悪い」と批判する。そして「スマホ見ながら歩き」を擁護している。 「スマホ見ながら歩き」とは、どういう行動のことをいうのか? 暗い道路を歩きながら「画面」を見ている人もいる。 雨の降る夜、自転車に乗りながら、カサをさして、画面を見ている人もいる。 駅のホームで、並んで電車を待っているとき、電車のドアが開いていても画面を見つづけてじっと動かない人もいる。 駅の階段を昇るとき、大勢の人が混み合っている中でスマホの画面を見て、周りの人の身体や荷物にぶつかったり歩みが止まる人もいる。 これらの「スマホ見ながら歩き」は一体、何を見ているのか? それが真に問うべき問題なのである。 西野亮廣はこのような問題が全く理解できない。
スマホ(デバイス端末、パソコンも)を見るというとき、「画面に表示される内容はほとんどどうでもいいものを見ている。 もちろん、どういう内容を見るのか?見ているのか?は、全く無関係ではない。供給サイドは、ずっと、いつまでも「画面を見させる」ために効果のあるものを見せたり工夫している。 「スマホ見ながら歩き」の人が見ている一番のものは「電気ピカピカの画面、極彩色の色とりどりの文字、画像」なのである。 電気ピカピカ、派手派手の色を見ている。 |