谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。

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[5178] こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。 ◎「自己カウンセリング研究会」の研究会は、「フォーム」の構成の形式にしたがって、自分が「これは切実である」と思えるテーマを、「名詞文で書く」という実践実技の自己カウンセリングのシステムです。 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2019/05/20(月)08:48
[5178-1] こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。 ◎「自己カウンセリング研究会」の研究会は、「フォーム」の構成の形式にしたがって、自分が「これは切実である」と思えるテーマを、「名詞文で書く」という実践実技の自己カウンセリングのシステムです。 谷川うさ子 2019/05/20(月)08:48
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ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター

ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信
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日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!

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谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!!
発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子
(第1期・109号)
(令和元年5月20日)
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こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。

◎「自己カウンセリング研究会」の研究会は、「フォーム」の構成の形式にしたがって、自分が「これは切実である」と思えるテーマを、「名詞文で書く」という実践実技の自己カウンセリングのシステムです。

先日まで、「研究会」にご提示していただいた「Ⅰ・主題」のテーマの「視線恐怖」をモデルにとりあげて、まず初めの「視線恐怖というもの」の「もの」の名詞の実在性の説明のしかたをご紹介いたしました。きょうもその続きです。


●「視線恐怖というもの」の「もの」の実在性とは、日本人の、仕事とか現実社会のなかの言葉を憶える脳の働き方を説明しなければならないということをコーチングしてきました。


●これはポルソナーレのカウンせリグ・ゼミしか解明していないので、ポルソナーレのゼミ生のみなさま以外は、誰にも理解の埒外にあることですが、人間の脳は自律神経の交感神経と副交感神経とで働いています。

人間の脳は、人間的な意識を生み出し、つぎに共同体の観念をつくる名詞の言葉を生み出す、という働き方をしています。

●このような具体的な脳の働き方を構築するのが、まず「視覚」です。そして「聴覚」が完成します。「触覚」は、名詞の実在生を裏付けます。

●脳の働き方の一番の基礎をつくるのが「視覚」です。そのつぎが「聴覚」です。「触覚」は、「聴覚」に隣接していて共時的に働く、とポルソナーレのカウンセリング・ゼミでは説明しています。このことはニューズレターに書いてあるので、証明できます。


●「視線恐怖というもの」を脳の働きから説明しようとするならば、「視覚は脳のなかの交感神経の言語領域で成り立つ」「聴覚は、副交感神経の言語領域で成り立つ」ということを、前提として分かる必要があります。

●日本語(ヤマトコトバ)は、「副交感神経の言語領域」で憶えられているコトバです。

「時間性の言語領域」ともいいます。

「視覚は、交感神経の言語領域」でしか働きません。「空間性の言語領域」で働くのが「視覚」です。

●「視覚」は、吉本隆明によれば「視覚の感覚」と「視覚の認知」のふたつの仕組みにわかれます。

「視覚の感覚」とは、生理的に見ることです。光や影、色などを知覚します。

●「視覚の認知」とは右脳のなかで、像(イメージ)を表象することです。

「視覚の認識」といえば「左脳」の言語野で「記号としての形象」を表象して、右脳の「像」(意味のイメージ)とむすびつくことをいいます。


●脳のこういう仕組みをポルソナーレのカウンセリング・ゼミでは約10年の歳月をかけてゼミ性の皆さまとご一緒にかんがえてきましたが、かならずしも全員の誰もが理解したとは言い難いのですが、そういうことにはとらわれずにゼミを展開してきましたことがやや心残りです。


●日本人といえども、生理的に見ること・・・感覚の知覚の目・・・目でみること、は誰もが可能です。

問題は「視覚の認知」として目で見ることは、この認知は「交感神経の言語領域」で成り立つので、日本人のほとんどの人は認知の目・・・目でみることは、できていないのです。

[5178-2] 谷川うさ子 2019/05/20(月)08:48
   なぜならば、日本語(ヤマトコトバ)は「動詞文」であるからです。名詞文、すなわち「交感神経が憶える言葉」ではないからです。「動詞文」は「副交感神経がつくりだすコトバ」です。

●なんども説明してきているように、現実の社会の言葉はどれもこれも名詞でなりたつ言葉です。物事の事実も同じです。

●ここから分かるように、多くの日本人は、生理の目・・・視覚の感覚の目は現実のものごとを見ていても、視覚の認知を見る目は見えていないのです。

●これは学校の教科書の言葉も、仕事のなかのどんな言葉も、視覚の認知も、認識の目も見えてはいない、盲目である、という証拠、証明になるのです。

◎だから、多くの日本人は、会話のときに相手の顔を見ない、目などはもちろん見ないのです。

電車のなかでも、スマホの画面だけしか見ない、スマホの画面を見ながら相手としゃべる、ということを普通にしているのです。これは基本的には、相手を見ても、確かに生理的には相手がいることは知覚している、しかし、相手を理解するとか、相手の話を、相手の表情とか顔の感情から分かる、など、そういう相手は存在しない、不在であると認知しています。

◎これが「視線恐怖というもの」の「恐怖」の実在性の実体です。

相手のことは丸暗記などできない、試験とかテストではないから、また仕事のことがらでもないし・・・しかし、嫌いでもないから「行動だけしかかかわらない」というわけにはいかない・・言葉は必要である、という意識はある、・・・だから無理に無理をかさねてでも今のこの関係は会話の関係としてつづけている、その会話は、目がうつろとか、ぼーっと見ているとか、あるいははっはっはっと不毛な笑声をけたたましく立てるとか、あっそうそうと相手の言葉に反射して自分のことを幻聴まがいに果てしなくいつまでもぺらぺらと喋りだす、という関わり方であるでしょう。

●これは「視線恐怖というもの」の「恐怖」の病理症状です。動詞文は「時間性の言語領域」で作り出すとはなんども説明しているとおりです。

時間性の言語領域とは、自然でも人間の場合でも、そこにあるものは、たちまち消えてしまう、と本質にしています。

「視線恐怖」の「恐怖」とは、時間性の本質にしたがって人でも、仕事の言葉でも、もちろん勉強の言葉でも、これらを見ている自分は「消滅に向かっている」「死に至る道を転がり落ちている」ということを「トカゲの脳」のドーパミンの快感とともに歓喜して受け入れているというのが「同一性」の実体です。

◎この「視線恐怖というもの」の「恐怖」の意味する「死滅にいたる病理」の診断は、「こわい」の言い換えの「人の目が気になる」とか「赤面する」「自分は悪く言われている」などと発言すれば、その人は、「死に向かう第4行程」の「あがき、もがき」のレベルを越えています。

あちらこちらの身体に神経症、あるいは、疾患がでている人は、「死の受け入れの段階」です。この人は、痴呆症の症状を全面に出していて、疾患が進行しています。

「パソコン」「スマホ」の画面を見ている人でいうと、いつでも「見ずにはいられない」という人です。「リア充」とかいって、現実がまるで見えていないので、明日にでも「ビルの屋上」のフェンスを乗り越えようと、空を飛ぶ鳥になった自分をイメージして「うわっ、楽しそー」と胸をときめかせているでしょう。


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[2024/04/28 21:29] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子