[3860-2] 谷川うさ子 2016/01/28(木)13:45 修正時間切れ
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その証明の仕方は三つです。一つは、「通信」によって、内容が有用であるかどうかが確かめられます。現実的な利害の有用性が確かめられれば「真」の証明と判断が成り立つのです。
もう一つは、画面(ディスプレー)に表示されている内容を「命題」として「帰納」によって真か偽(ぎ)かを判断するものです。 「帰納」とは、確率論のことでもあります。 確率理論でよく知られているのが「アルゴリズム」です。条件と前提が一致すると、その結果は「真である」という斉一性の原理で、近似値的に「真」をつくり出します。 もう一つは「演繹」です。「万人にとって普遍性をもつ法則」をもつと証明されれば「命題」は「真」として成り立ちます。
すると、「AI」(人工知能)は、「帰納」によってどこまでも「通信」をつづけて、「真」であることを証明し、「判断」しつづけるという無限の「斉一性の原理」の上で成り立っていることが分かります。 だから「知能」などではありえず、「通信」を受け取った人間にとって主観的に「真」を可能とするにすぎません。これが「AI」(人工知能)の実体です。
テクノロジーがこういうものだとすると、これが要介護問題とどういう関わりがあるのか?が問題になります。 問題をつくり出すのはインターネットの「ネット検索」です。 「ネット検索」でディスプレー(画面)に表示された「ネット情報」はどんなものであれ「命題」にしかすぎません。真か偽(ぎ)か?を「判断」する「対象」にしかすぎないということです。 その「判断」は「帰納」か「演繹」か「通信」によって相手と自分の相互の有用性で「証明」されます。
しかし、誰もがよくお分りのとおり、「ネット検索」した「ネット情報」を、「帰納」とか「演繹」で、その内容が真か偽(ぎ)か?を「判断」する人はほとんどいません。 これは、日本人の「目」「耳」の働き方が「幻覚」と「幻聴」をつくっているためです。
つまり、多くの人はディスプレー(画面)の表示を「幻覚」か「幻聴」の材料として見ているし、聞いているのです。 そして「見ること」「聞くこと」というそれぞれの「行動」を完成させて、「見たつもり」「聞いたつもり」という認知症(痴呆症)の周辺症状の「行動の止まり」をより深めています。 ここで「手、足、指の行動」(触覚による行動)も「行動したつもり」という疑似行動(疑似対幻想)をつくり出します。
これが仮想空間(バーチャル)の本質です。 つまり「バーチャル」(仮想空間)とは、「幻覚」と「幻聴」がつくり出した「廃棄処分されるべき食品」と同じ副産物なのです。
この「廃棄処分されるべき食品」(バーチャル・仮想空間)が生み出したものが「オンラインゲーム」「オンラインポルノ」「スマホを見ながら歩く」「しょっちゅういつでもスマホの画面を見ずにはいられない」という「幻聴」による「自分の行動」「他者の行動」の「破壊」です。
これが要介護状態に至る「認知症」(痴呆症)の「周辺症状」です。
「幻覚」と「幻聴」についてご説明します。 ふつう、「幻覚」というと見えているはずのないものを見ること、と思われています。覚醒剤とかアルコールによって夢を見ているときと同じように幻(まぼろし)を見る錯覚のことだと思われています。 「幻聴」とは、神の声が聞こえるとか、電波が飛んできてあれをしろ、これをしろと命じるときの「言葉」「声」のことだと思われています。 「幻覚」と「幻聴」をこのように理解してもいっこうにかまいません。 問題は、こういう幻覚や幻聴は、なぜ、どのように脳の中につくり出されるのか?にあります。
「幻覚」と「幻聴」の直接の原因は「右脳・視覚野」「右脳・聴覚野」です。 「左脳・視覚」は、ものごとの三次元(ゲシュタルト原理)を「見る」のです。 「左脳・聴覚野」は人間の話す(書く)言葉の「法則」を「聞く」のです。 しかし「右脳・視覚野」はジョン・ロックのいうものごとの第二の性質の「色」「香」「味」といったことしか見ないのです。「右脳・聴覚野」は、「自然音」(虫の音、トリの声、風の音、雨の音など)しか聞かないのです。 |
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