[3839-3] 谷川うさ子 2015/12/22(火)14:03 修正時間切れ
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「赤面症」というのは、大正時代からの日本人の神経症の病気です。 なぜ起こるのか?というと、人間の「行動」は、視床下部から起こることに理由があります。視床下部は、大木幸介もいっているように「欲の脳」です。 「食の欲」と「性の欲」の二つをつくり出します。 人間の「行動」をつくるのは、「性の欲」です。 このことは、吉本隆明が、「性の欲が対幻想をつくり、そして共同幻想をつくる」と明言しているとおりです。
「赤面症」で悩む人はおもに女性です。男性も「赤面症」の人はいますが、女性ほど深刻ではありません。 視床下部の自律神経の働き方をみると、女性は「行動」のために「性の欲」の働きを借りるのです。 しかし、母親が、「子どもの顔を見ないで話す」「子どもの話すことを最後まで聞かない」という女性であった場合、その子どもの女の子は、「行動」のための言葉を丸暗記することができません。「行動」は「目」「耳」の働きを抜きにした「手、指の触覚」だけで憶えるのです。 この行動が「仕事」であるとき、職場の男性が「この仕事はいつまでに出来上がりますか?」などと話しかけると、「対幻想」の言葉は憶えていないので、「性の欲」は「生殖」としての「性」を脳に思い浮べさせます。 当の女性は、職場の中で自分が「性行動」をあらわしているかのように思えるのです。ここで「共同体」からの孤立を意識して「赤面する」のです。 「赤面する」というのは、「笑い者にされている」と思うことです。 誰からもいっせいに「みっともない」と遠巻きにしてクスクスと笑われ、指をさされるということです。 多くの日本人は、「内扱い」によって「自分の行動」を自分で「尊敬」しています。尊大にイバっているということです。このイバリが打ち砕かれて地に落ちるのが「赤面」です。こういう倫理の破綻を「恥」といいます。「恥」は、ひとりだけ責任をとらされて悪霊か、穢(けが)れ、傷物として人々の生活圏の外に追放されます。「呪われた人」とみなされるのです。 「人の前で発言したり、本を読む、手で文字を書く」というときに「手が震える」「身体が震える」「脚が震える」という女性がいます。男性ももちろん、います。女性が中心の神経症です。これも認知症の周辺症状です。
なぜ、「声が震えるのか」「手が震えるのか」「脚が震えるのか?」というと「行動」をあやふやに憶えているからです。 仕事の中で「これは、これこれ、こういうやり方で、必ず、こういう形になるようにおこなってください」と言葉で言われたとき、その「行動のしかた」を憶えられない、聞いたすぐに「忘れる」という人が、「震える」のです。 犬や猿は、芸を憶えます。くりかえし、脅したり、ごほうびをあげたりして調教すると、ある行動をおこなえるようになります。 日本人の「行動の憶え方」は、これと同じ憶え方をします。
「声が震える」「手が震える」「脚が震える」という人の「行動」の憶え方は、「扁桃核」の「好き・嫌い」「敵・味方」という「対象に近づく」か「敵から逃げる」かによる憶え方をします。 「母親から叩かれた」とか「母親から大声で叱られた」という経験がこのいずれかの行動にバイアスをかけるのです。 「行動をつづけられているもの」は「近づく」、すなわち「好き、味方」という価値づけによる憶え方です。 「これは、こういうふうにおこなってください」と職場で言われたときの「行動」は、「好き、味方」というものではないので、ニュートラル状態です。
この行動をずっとつづければ、「好き、味方」(近づく・近づいてもよい)と思えるようになるでしょう。それには行動のくりかえしという時間がかかります。2年とか3年という時間をかけた行動は、人の前でもなめらかにあらわせます。 「好き、味方」という価値がつくる「近づく」という行動ではないとき、震えが起こります。副交感神経による行動であること、血管を流れる血液に生化学物質のアセチルコリンが筋肉の緊張と痛みを発生させます。「本を読むときの喉の筋肉」「手で文字を書くときの腕、手首の関節」「立っている脚の膝の関節」にもアセチルコリンが集まり、痛みをつくり、脱力を生じさせる、無理に当の行動をつづけると「震える」のです。
これも、「言葉を憶えられない」「行動を触覚で憶える」ことがつくる擬似行動です。 「母親が病気がちで子どもの話を最後まで聞かなかった」という生育歴をもつ女性が「震える」のです。この擬似行動が止まるとき、この周辺症状は、認知症(痴呆症)の中核症状(行動が完全に止まる。寝たきり状態になる)に転化します。 |
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