[3837-2] 谷川うさ子 2015/12/17(木)14:33 修正時間切れ
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わたしは、何人かの人と話してもその中に溶けこめません。自分の意見も言えません。 人と話をしているとき、話が途切れるのが恐いのです。人につまらない人間だと思われたくない、嫌われたくないと思います。
先日、大学の教授をまじえた6人くらいの人たちと話をするという場面がありました。社会人としてのマナーとか、言葉遣い、態度、動作のふるまいについてのレクチュアといったことが話題でした。 その教授がわたしに言いました。 「なんだか寂しそうに見えるよ。朝食は摂れているのかな?」
わたしは、友人に相談しました。「先生から暗いって言われたような気がするけど、実際のところどう見えるのかな?」 友人は、「いつも視線が下を向いているよね。下を向くと、謝っているような姿に見えるね」と言います。 でも、わたしは、会話のときに、相手の顔、目を見て話をするとひどく緊張するんです。 人から見られていると思うと声は震えるし、顔はひきつります。 授業中、人の目を意識するととてもあがります。手や足ががくがくと震えます。 もう死んでしまいたいと思います。発表が終わると涙が出そうになります。 (鈴山鳴子(仮名)、22歳、大学生)
《ポルソナーレのカウンセリング》
ひところ、事例の相談のような「人から見られているとおもうと、緊張する、声が震える、人の輪に入れない」といった悩みは、対人恐怖症とか、視線恐怖症とか呼ばれてきました。 今は、こういう症状名で病理を言い表すということは減っています。 インターネットを介して人と話したり、コミュニケーションをとることが多くなっているからということもあります。 それよりも、もっと大きな理由は、相談者のように無理にでも人と関わりをもつとか、緊張して震えても人の前で話をする、という現実を避けるようになっているからです。学校には行かない、仕事にも行かない、家の中でネットを介してバーチャルな社会と「つながっている」と思えば、淋しくもなんともない、孤立していても平気、という人たちが一般的な傾向になっているからです。
しかし、相談の事例のような「人の顔が見れない、人の目が気になる」という症状が日本人の中から消えてなくなったわけではありません。姿を変え、形を変えてあらわれています。 「部屋の中を片付けられない」「家の中がゴミ屋敷になっている」「ゲーム依存症で、一日中ゲームに取り憑いている」「入浴しない」「異常に病気になるのを気にしている」「目が見えない」「耳が聞こえない」といったような症状に転化しているのです。
これらの症状を強迫神経症といいます。自律神経の交感神経が働いていなくて、自己免疫疾患が生じています。 副交感神経がつねに優位になっているので、血流障害が起きて、ヒスタミン、セロトニン、アセチルコリン、プロスタグランジンなどの生化学物質が、ふつうの生活やふつうの人間関係をつくろうとすると、激しい苦痛や不安、不快感をつくり出します。何もせず、家の中でじっとしていると快適な状態になります。 |
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