[3826-2] 谷川うさ子 2015/12/03(木)15:17 修正時間切れ
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これらの認知症(痴呆症)の「周辺症状」もまた、日本人だけに特有の脳の働き方である「丸暗記」がつくり出す。これらの「周辺症状」は「擬似行動」である。本人は、どんな異常な「話し」でも「手、足の動き、もしくは動かないこと」も『行動である』と思いこんでいる。
さらに、日本人の心身の病理(周辺症状)の特異さがある。 日本語は「已然」(いぜん)と「未然」(みぜん)の法則により、「自分自身にとって」という表現の基準のうえで話され、そして文が書かれている。「自分自身にとって」とは、「行動」の動機ということである。このことは、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミでくわしくレクチュアしているとおり、日本語の「内扱い」の「話し方」をつくり、「外扱い」の話し方を壊すことを目的および優位の話し方とするということだ。
ポルソナーレ注・「内扱い」とは「自然成立」を価値とみなすということである。助動詞の「ル」「ラル」が尊敬語になっているように、「自分自身の丸暗記と、行動成立も、自分が自分を尊敬する対象にする」ということが「内扱い」である。 すると、この「内扱い」は、「不登校」、「引きこもり」「いじめ」「虐待」の「行動」も「自分が自分を尊敬する対象」としてつくり出される。
「他者の痛み」「自分の人生の将来」「最愛の対象であるはずの家族の安心、安全」などよりも、「自然成立する自分の欲、自分の感情」の方が価値が高いと判断するものの考え方が破壊や破滅をつくり出すのである。自発的に改善される可能性は少ない。
日本人の認知症(痴呆症)の周辺症状は、「社会的に意味のある価値のある行動ではない」ことははっきりしている。日本人が使う日本語の「内扱い」のしくみからみると、これも「丸暗記」がつくる「行動」である。 日本人の認知症(痴呆症)の周辺症状とは、「丸暗記」がつくる「行動」ということに本質がある。 それは「擬似行動」というものだ。
当の本人は、日本語の「内扱い」によって「自分で自分の欲と感情を尊敬する」。「自然を価値とする共通の価値観」で「自分の周辺症状は正しい」と確信している。 同時に、家族など周りの人とも同じ価値観をもつので、周辺症状である「擬似行動」を受け容れて世話をする。 |
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