[3825-2] 谷川うさ子 2015/12/02(水)16:50 修正時間切れ
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結婚したら生活の中に楽しいことなど、何もないことに気づきました。 夫も性格が一変してパソコンとかスマホばかり見て、わたしの顔など見ません。わたしも、夫の顔をまともに見て話さなくなりました。
一年中毎日、こんなことばかりを考えて、一生このままかと思うと虚しくなっています。 ほかの主婦は、何を楽しみに毎日を生きているのでしょうか?わたしだけが特殊なのでしょうか? (川口鈴香・仮名、36歳、主婦)
《ポルソナーレのカウンセリング》
このような相談の事例を見て、これが、日本人にとって大問題になっている要介護とか認知症(痴呆症)と関係があるなどとは、多くの人は、全く考えないでしょう。 年齢も30代だし、もう間もなく40代であるにしても、まだ「認知症(痴呆症)を心配する年齢じゃない」と誰もが考えます。
しかし、それは、人間の脳の働き方のメカニズムのことについて何も知らないから事例の女性の悩みの意味がよく分からないためです。 相談の事例の女性のいう「姑から電話がかかってきたって、お礼を言うとか、聞かれたことに答えればいいだけじゃないか」という感想をもつだけでしょう。 こういう感想をもつ人は、日本語には、「外扱い」と「内扱い」という話し方があるということを全くよく分かっていない人です。 「外扱い」ったって、ただ丁寧に話せばいいというものでもありません。 さすがに、「マジで?」とか「びっくりポン!」という言い方はまずいくらいのことは分かるでしょうが、「相手の話を前提にして自分も、話題の状況について話す」ということが、これがじつは「外扱い」のことだとは、ほとんどの人は知らないのではないでしょうか。日本語の「外扱い」とは、必ずしも尊敬語、謙譲語(形)のことだけではないのです。
「そういうことを知らなくったって、毎日のことで何も困ることはない」と思っている人は多いでしょう。 女性にとっては、これが「記憶障害」の起こりなのです。「記憶障害」とは、「行動の止まり」と全く同じ意味です。 日本人にとって、この「行動の止まり」が「認知症(痴呆症)」の実体なのです。
「日本人の女性も、男性も、行動の止まりの症状は、認知症の周辺症状をあらわします。高齢者のように、パタッと行動が止まって、ベッドに寝たきりになるのではなくて、年齢が若いころは認知症を意味する周辺症状をあらわします。この周辺症状の症状がいくつも拡大すると、ごくわずかのことしか行動できない不能状態が何年も何年もつづいていくのです」とは、ポルソナーレの熊野クマ江さんのお話です。 欧米人は、言葉の意味や論理を憶えることが「記憶」です。 日本人にとっては、言葉とかその意味を憶えることはどうでもよくて、ただ「行動が可能になること」が「記憶」です。 これが脳の働き方からみた違いです。 |
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