[3785-2] 谷川うさ子 2015/10/05(月)10:35 修正時間切れ
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《ポルソナーレのカウンセリング》 山中桃江さん(仮名)は、学校の授業も、仕事の中の説明も、せっせ、せっせとノートに聞き書きをする女性です。 また、人の説明も、人の話すことも、せっせとメモを執る人です。 このノートに聞き書きをすることとメモに執ることを止めて、聞いて憶えることをおこなうようにしたらこんどは、「念押し人間」になったと言っています。 たしかに聞いて憶えているとは確信しているが、まちがいないだろうか?と心配になる、そこで「こうですよね」「こうでまちがいないですか?」と尋ねる、しつこく相手に同じことをなんべんも言わせる、と言っています。
「こういうことですか?」「これでまちがいないですか?」と念押しして尋ねる人がいないときは、「だいじょうぶだろうか?」とじぶんの目で確かめるために行動しています。 自宅のガス・ストーヴの火を消火したかどうか?が心配になり、会社の仕事を中断して確かめるために自宅に戻っています。
この山中桃江さんの「念押し」でなんどもしつこく尋ねる、確かめて心配な気持ちがなくなるまで聞く、というのは、日本人の認知症(痴呆症)の周辺症状のひとつです。 相手になんどもなんども同じことをくりかえして尋ねる、話す、というのは「認知症」(痴呆症)の周辺症状の中の嫉妬妄想とか物盗られ妄想と同じカテゴリーの被害妄想の一種です。 認知症(痴呆症)とは、高齢者になってから発症するものだ、と思われています。しかし、日本人は若い頃から認知症になります。認知症(痴呆症)の症状は「中核症状」と「周辺症状」のふたつがあります。中核症状は「体験を忘れる」という症状のことだといわれています。日本人の多くは認知症の周辺症状をあらわすのです。相談者の山中桃江さんは周辺症状をあらわしています。
ポルソナーレの脳の働き方について長年にわたる研究と考察にもとづくと、多くの日本人には、「体験を忘れる」ということは起こりえません。 「体験」ということの正しい意味は、誰もが同じように見たり、聞いたり、皮膚の感覚に知覚することを、自分も同じように身体の五感覚に知覚することをいいます。分かりやすい例は、字の筆順を憶える、話し方のマナーや礼儀を憶える、正しい文の書き方や人の話の聞き方の決まりごとを憶える、といったことが「体験の学習」です。
体験の学習は、「目で見る」「耳で聞く」という関わり方が可能にします。 「関係つけ」といいます。「目で見る」「耳で聞く」という働きは、自律神経の交感神経の働きが成り立たせます。目の働きの交感神経は、「遠くを見る」という機能をもっています。 「遠くを見る」ことにはゲシュタルト原理という認知の能力が生じます。ゲシュタルト原理とは、「ルール」「きまり」「やくそくごと」のことです。ゲシュタルト原理がつくる「ルール」「きまり」「やくそく」とは、学校で教わったり、仕事の中で学んだりするルール、きまり、やくそくのことではありません。「行動の秩序」のことです。 乳・幼児は正しく行動します。乳・幼児が見聞きして身につける「行動の秩序」は「遠くを見る」がつくりまうs。 こういう「行動の能力」を「倫理」といいます。「道徳」ともいいます。 共生とか共同体の誰もが分かっておこなう「規範」のことです。 したがって「体験」を「学習する」とは、「目」「耳」の自律神経の交感神経が働かなければならないのです。 |
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