[3764-2] 谷川うさ子 2015/08/28(金)13:31 修正時間切れ
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「お前のせいだ」「お前が悪い」「お前にウラミがある」などと、自分に関係があることを言われたときには、「忘れない」「関心をもつ」、言われた言葉にいつまでも興味をもってしつこくこだわる。これは「悲しい」とか「悔しい」というのではない。脳の働き方は「相手不在」「相手は居ない」という関わり方しかつくれていないから、「げんに今、見ている」という目の感覚の働きの近くがつくっている関係を壊すという喜びを思い浮べて脳の中にドーパミンを分泌させる、脳内麻薬の快感にシビレる、というように日本人の脳は働いている。
「トレンド総研」の調査(平成27年8月27日、日刊ゲンダイ)によれば、日本人の「20歳代から60歳代」の51パーセントの男女は、「自分と、自分の家族に介護問題が発生する」とは「思わない」というのが結果らしい。「人ごとだ」と思っていると解説されている。 日本人の要介護認定は、この平成27年3月時で「600万人」だと報道されている。年々、22万人とか30万人ずつ増えている。57パーセントが女性だ。なぜ、要介護の状態や認知症(痴呆症)になるのか?の原因は「分からない」といわれつづけている。原因が分からなければ、誰にだって可能性があるということだ。 これがあるがままの現実ということだ。介護、認知症についての文字にしろ、文章にしろ、ニュースの報道にせよ、新聞広告の宣伝にせよ、「目で見る」「客観」のことだ。 人間の「目」は、こういう「客観」を見るという「感覚」と「知覚」(認知)の働き方をもつ。 もうひとつ、「知りません」「忘れました」「見たくもありません」という「目の働き方」がある。 「主観」というものだ。
人間の脳は、「言葉」をつくり出す。これが人間の脳の本質である。 どのように人間の脳は「言葉」をつくり出すのか? まず「目が動く」、次にこの「目の働き」にくっついて「耳の働き」が起こる。 この「目の動き」と「耳の働き」を支えるのが「触覚」だ。
「目の働き方」に、ものごとの「客観」を見るという能力がある。この「客観」を「耳の働き」が言葉にする。文法や表現の秩序をつくり出すのだ。
しかし、日本人の使う日本語は、已然(いぜん)、未然(みぜん)という非常に特殊な「文の形式」(構文)で成り立っている。「客観」というものを「見ない」、「発声、発語」をしないのだ。しゃべること、話すことは全部「主観」になる。 人間の心や精神の「おかしさ」(変だという印象)は、ぜんぶ、「言葉」に現わされる。日本人の「この人は変だ?」「この人はどこかおかしい」という感じは、「行動をつくる言葉」「行動を言いあらわす言葉」にあらわれる。
認知症(痴呆症)も「要介護状態」もぜんぶ「言葉」にはっきりあらわされるのだ。
日本人の認知症(痴呆症)(要介護状態も)の始まりは、会話の中で「相手の顔、目を見て話さない、聞かない」ときの「言葉」に出てくる。 「相手の顔を見ない」、「相手の目を見ない」とは何か? これは、自律神経の交感神経が働いていないということなのである。どんな本にも書いてあるが、目の自律神経の交感神経は、「遠くを見る」。ゲシュタルト形態原理が働くということにある。ゲシュタルト原理とは「プレグナンツ」といって法則・規則・論理を「認知」するのである。 これが「心的に見る」という働きのことで、「5W1H」などの言葉の能力の土台になる。
日本人は「下を向いたり、ソッポを向いてしゃべる」だろう。 明らかにおかしい人は、目の前に会話の相手がいるのに、わざわざ首をぐいっと曲げて、誰もいない空間を見ながらしゃべる。しかも、にこにこして、うなづいたり、明るく笑ったりもして、たくさんしゃべりつづける。 おかしいのは、この人の前にいる会話の相手の人もあらぬ方向を見ながらしゃべる人と会話をつづけることだ。 会話の中味は?というと、この両方の人物とも、自分勝手に、自分のことだけをしゃべっている。どこにも会話の一致点は無い。二人とも、自分だけの「ひとり言」をえんえんとしゃべりつづける。 |
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