[3745-1] 読むだけで幸せになる手紙・認知症(痴呆症)になる人、ならない人の性格診断 谷川うさ子 2015/07/28(火)13:08 修正時間切れ
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認知症(痴呆症)は、 年齢が増えることが、 原因ではない。 若くても、聴覚障害が 排他的になれば起こる。 対策を分かって、 介護、介助の出費を 防ごう。
認知症(痴呆症)も、うつ病も、分裂病も、その病気の症状は「話し方」(しゃべり方)がつくる。おかしな話し方、聞き方、発語の仕方は、症状ではない。病理の本体そのものなのだ。 認知症(痴呆症)とは、体験そのものを忘れることだというのが一般的な見解だ。「食事をしたこと」とか「目の前の人の名前」とかを忘れることだ、と。 身近な人がこういう発言をすれば、たしかに衝撃だ。胸が痛くなる。
だが、いくつかの若くしての認知症(痴呆症)の症状を現わす人を観察してみると特異な脳の働き方が見られる。 ある人は、ノートに同じ絵ばかりを書いていた。 そして、現実の人間はみんな「トーフ」に見えると言う。 道を歩く人々は、みんな、ブラブラと遊んでいるように見えるという。やがて、人から変に見られないようにと家の中でも帽子を深くかぶって生活をするようになった。
また、べつの人は、どんな会話でも必ず一つのことしか話題にしない。幼い自分のある時期のことをくりかえし話す。 どんな話題でも、必ず自分の幼い日々の不遇な経験と惨めな思いをしゃべる。
こういう話し方、発言の仕方に誰しもが思い至るだろう。自分でなければ、身近な他者の言うことに思い当るだろう。 もし気がつかない、思い当らないとすれば、それは「聞いていない」(忘れている)からだ。
聞く、話す、発語するというのは「脳の働き方」でいうと「聴覚」のことだ。この「聴覚」は、見ている「視覚」の対象に一致して結びついて「正常」となる。紹介した事例の人は、「見ている対象」も不完全だ。話している言葉は、勝手に口から出て、感情のほとばしりのままに次から次へといつまでも果てしなくしゃべる。 聴覚が「視覚」から離れて独立して、聴覚の機能が故障したかのように言葉や音や感情の言葉だけが生き物のように動き出す。
分裂病では、これが、話している相手か、身近な人の対立の色をおびるときに聴覚の異常となる。 ある女性は、母親につかみかかり、奇声をあげていた。べつの女性は、鬱の母親に「子どもの頃、こういうことを言っただろう。なぜだ?なぜ言った?」と大声で、何時間も問いかけていた。 こういう「視覚の感覚」が切断されるときが認知症(痴呆症)である。 |
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