[3657-2] 谷川うさ子 2015/01/19(月)19:58 修正時間切れ
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お母さんは、私に「1」「2」「3」の旗を持たせました。私のまわりにお兄ちゃん、お父さんがいます。 お母さんが笛をピッと鳴らして「いち」と言います。 私は、「1」の旗をかっこよくまっすぐに上げます。すると、お兄ちゃんとお父さんは、私の側から離れます。私1人になります。 お母さんは、笛を鳴らして「さん」と言います。お兄ちゃんとお父さんがササッとかけよって私のまわりに集まります。 お母さんが、「に」と言うと、お父さんがサッと離れて、私とお兄ちゃんだけになりました。
私は、こうして順番ということと、「1のかず」「2のかたまり」「3のかたまりのかず」が分かったのです。 私の内向的な性格は、すこしずつなくなりました。内向的というのはいいかたを変えると頑固ということです。だから夜の駅前でバラの花束を背中に乗せて若い女性の好奇心を集める「花売りローザ」(ロバ)も内向的です。じっと正面を向いたままで、女性たちが首に触ろうが、頭をなで回そうが、ちらとも見ません。頑固な態度です。ロバの性格も内向的というのかは分かりません。
私の内向的な性格は、中学1年生の時に、再び現われました。社会科の授業でグループごとの班に分かれて、日本史の教科書を一人ずつ読むことになりました。私は日本史は好きだったので、日本の昔の女性とか、恋愛で苦労した生活にちょっと胸を高鳴らせていました。 次の人、どうぞ、という声にうながされて、私は席を立ちました。両手で教科書を持って読み始めました。 自分でも、声が震えているのが分かりました。 あれ?なんだか声が震えているぞと思うとちょっと恥しく、みんな気がついているよな?と思い、悲しく、泣きたい気持ちでした。歌手が歌うときに歌声にバイブレーションをかけます。それと同じように声が震えるのです。歌だったらかっこよく聞こえます。私も、名調子を聞かせるように思い、みんなうっとりしているかな?と思えばよかったのかもしれません。 読み終わったとき、胸がドキドキしていました。 ランニングをした後のときのように、脚に疲れを感じて力が入りませんでした。 次の週、国語の授業の時、教科書を読むことになりました。この時は、教科書を読む前から胸がドキドキしはじめたのです。声が裏声のように上ずり、完全に震えているのが分かります。 クスクスという笑い声が耳に入ってきます。目がかすんで、足元がフワフワした頼りない感じになります。雲の上を歩いているような、そんな自分の姿が思い浮びました。 読み終わったとき、これで国語の時間が怖くなるなと泣きそうな気持ちになりました。
話を聞いてくれたのは、お兄ちゃんのお友だちのお姉さんです。 ポルソナーレで勉強したことが役に立ちましたと言います。 「私の友人に、ひどく恥しがりの女の子がいてね」と言います。人が自分の顔を見るのが嫌なので、前髪をカーテンのように長くして目を隠していたそうです。 道を歩くときは、両手の手の平を立てて、顔の両側に立て、びょうぶのように顔を隠していました。
「そのお友だちの家に遊びにいくとね、おいしい紅茶を出してくれるのよ。ビスケットもね」 紅茶を出すときは、顔を両手で隠しません。 にっこり笑って、どうぞと言ってくれます。目はとてもすずやかで、清らかに澄んでいます。 あ、こんなにきれいな目をしているんだ、とお兄ちゃんとお友だちのお姉さんは、あまりのきれいな目なので、心の中にお花が咲いたような気持ちになって、しみじみとそのお友だちの顔を見ておいしく紅茶をいただいたといいます。 ポルソナーレで学習したことを思い出したと言います。 「赤ずきんちゃんの絵本を二人で読みました」とお兄ちゃんのお友だちのお姉さんはいいます。 「オオカミさんがね、赤ずきんちゃんをだますところがあるよね。そのオオカミのせりふと声を、その、人がニガテという女の子に絵本を読んで、そっくりに優しく、すっかり信じこんでしまうような甘い語りかけで読んでもらいました」 ――おばあちゃんの目は、どうしてそんなにギョロッと大きいの? ――おまえがあんまりかわいいので、よく見るために。 「うっそー」とその女の子は笑いました。 顔を見ればオオカミだもん。いくら声だけ優しくしてもだめだもーん。
大学生で、卒業したら学校の先生になりますというお兄ちゃんのお友だちのお姉さんは言いました。 「声とか、音を聞いてね、その人のことが思い浮べられれば、人が怖いとか、見られると嫌だっていうのはなくなるのよ」 「赤ずきんちゃん」のオオカミの声と言葉と、ここにちゃんとあるオオカミの考えが分かったその女性は、だんだんに対人恐怖ではなくなり、中退した大学にやり直しで入り直したそうです。幼稚園の先生になって子どもたちに「赤ずきんちゃん」のお話を聞かせたいと言っています。 |
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