 |
●恋愛の目的は二つ
「恋愛」とは《心が生きる》ということに価値の本質があります。 《脳神経学》の観点からの価値は、①心停止の不安の解消、②右脳にドーパミンを分泌させてノルアドレナリンを消して左脳を正しく働かせる、という二つの目的を本質としておこなわれます。 この、①と②のうちのいずれかの目的に合致した性の関係の相手として選択した結果、成立するのが「恋愛」です。 また、①と②のうちどちらが「恋愛の相手として価値が高い」のかというと、それは当然②のケースに該当する場合の恋愛です。 ①の「心停止の不安」を解消することを目的にした恋愛は、もともと生育歴の中で「親」が解消させるべき「心停止の不安」であったものを「恋愛の相手」に解消の肩代りを求めている、というところに本質があります。 ②のケースの「右脳のドーパミンを分泌させてノルアドレナリンを消し、左脳の知的な働きの水準を上げる」ことを目的にした「恋愛」は、自分自身が「社会性の世界」で適応し、よりよく豊かに充実していくという目的に本質があります。だから、万人にとって共通の「恋愛」の動機になりうるのです。 「親が別れろと言ったから、別れる」というのは、①と②の両方ともの「恋愛の目的も動機も」もたずに恋愛に参加したことになります。「恋愛」をおこないうる年齢になると「親」の力で《心停止の不安》を解消できる時期はとっくに過ぎていますから、全ての「恋愛」は、「いつか心停止におちいるかもしれない」という不安と、「社会参加の中でつねに分からなさの不安を感じつづけていくかもしれない」という二つの不安の中で「生きている」というように根本的な知性に欠陥をかかえている、という問題の所在を示すのです。 「倫理」とは、恋愛をおこなうにあたって心身を自立させて、自分一人が社会性の世界で正しく「生きていける」ための価値という内容を内包する秩序(信用)の意識(形式)であるのです。 「恋愛」にとっての《媒介》になる「行動にともなう倫理」とは、「社会の中で自立できていて、自分と相手の心身を正しく生かしていけるための理性」が橋渡しになるということです。 Pさんの体験された「終わった恋愛」は、「行動にともなう倫理」という《媒介》の能力がお互いに未成熟で、学習も不足していたことは明らかであるように思われます。 |