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●「愛」を一生、分からない女性と分かる女性の違い
ところで、「男なら誰でもよい」あるいは「好きになった男とならいつでも性の関係をもちたい」とはぜったいに《考えない女性》のタイプはいないのか?とお考えかもしれません。それが、いるのです。このタイプの女性とは、具体的には次のような女性群(タイプ)です。
●「好き」と「愛する」を区別できる女性の要件 ①原則として、すでに《性の体験のある女性》である、 ②『左脳』から入ってくる『概念』(論理、知的な原語、数字などの知性のことです)を、どうしても『右脳』に『イメージ』として《思い浮べなければならない》という必要と根拠を持っている《女性》である、 ③《性的に未体験の女性》でも、“父親”との“関係”が幼児、小学生、中学生の時期に心的に安定していたため、『社会性の世界』と正しく適応できている《女性》である、 といった要件と、社会的な位置を持つ女性が該当します。 この、①②③の要件に当てはまる《女性》群は、自分自身のオナニーによる努力によっては、せいぜい《心臓の停止の不安》を解消することはできても、しかし、『右脳』に、《左脳》から入ってきた《概念》(論理、知的な言語、抽象度の高い言語、統計的な数字、などの知性のことです)に対応する『イメージ』を、どうしても自力ではつくることができない、という“限界”を意識しています。 そこで、①②③の要件と社会的な位置の上に立っている女性は、この限界の壁を越えるために、『右脳』に、《左脳》に集中してやってくる『概念』に対応する『イメージ』をつくってくれる『男性』と《性行為》をもつことだけが、「自分の今の“社会性の世界”からの孤立の状態を突破し、超えていくゆいいつの方法である」という《心的な性行為》の必要を自覚するのです。 「好き」ではなく、「愛」が分かる女性の存在は、『性の関係』とは、もともとA物理としての直接的な身体レベルでの《性の関係》と、そして、もうひとつ、B心的な《性の関係》との二つで二重に成り立っている、という本質に立脚しています。 《心臓》の《心停止の不安》の解消を、自律神経のレベルで無意識の目的にする「性の関係」を求める女性は、Aの『物理としての直接的な身体レベル』での《性的な関係》だけを欲しがる女性です。このような《性的な関係》の意識をもつ女性は、「対象としての男性」を『好き』という了解の言葉で表現しますが、しかし『愛する』という認識を持つことは一生できません。 |