谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。

読むだけでは、情報の浪費になり、せっかくの情報を無価値にします。そこで、お読みいただいたら
[ワンマンカウンセラー・コース(人間関係の能力づくり)]
[お試しカウンセリング] [カウンセラー養成ゼミ] [ゼミ・イメージ切り替え法]
[脳の働き方から変える新・性格教育法] [入会案内]
のいずれかをクリックして、ごらんください。
なお、ご投稿は、「文章」に社会性があること、社会的責任が表現されていること、を基準にして受け付けます。

うさ子とクマ江の掲示板はこちら

[トップページ] [新規投稿] [タイトルリスト] [スレッド一覧] [内容表示] [使い方]
件ずつ ページ目 and or 検索

[2908-13] ●「見合い」と「恋愛」のルールの違いの本質 谷川うさ子 2011/12/05(月)11:17 修正時間切れ
●「見合い」と「恋愛」のルールの違いの本質

 ここで、「性の関係」の問題を、Pさんの「終わった恋愛」に即してご一緒に考えてみましょう。
 Pさんからの「メッセージ」の欄を拝見しますと、「性の体験はない」とご記入いただいています。これは、書かれているとおりに判断しますと、Pさんはこれまでに「恋愛の経験」は無くて、このたびのご相談の「一年間で終わった恋愛」の中でも「性行為の体験」は無かった、ということになります。
 このことは、これまでのご説明から二つのことを意味します。
 一つは、《心的》には「自分はこの男性の性の対象である。相手の男性は、自分にとって、性の対象である」と限定して選択された、という意味です。
 もう一つは、《心的には性の関係》は、デートや、待合わせて会って『時間』や『空間』を心的な性の関係だけを媒介にして《消費》してきたのだけれども、しかし、直接的な《性行為》には「踏み込まなかった」という意味です。
 問題は、一体なぜ、Pさんと、「元・彼氏」との間に「性の関係」が発生しなかったのか?というところにあります。
 普通、言われがちなのは「結婚するまでは、性行為はやるべきではない」という「婚前交渉の禁止」です。この考え方も成り立つように思われます。しかし、この「婚前交渉の禁止」は、もともと、「日本人の結婚の方法」の『お見合い』のシステムから発生しているものです。
 『お見合い』は、「紹介者」がいて、この仲介者の立会いのもとに『婚約』がととのい、しかるべき期間をおいて『結婚』する、というシステムです。これは、『恋愛』とは全く区別されるもので、「男」と「女」の《心的な関係》を切り離して、『生理的身体』だけが《生きていく》ための『結婚』というところに根本の本質があります。
 したがって、『お見合い』の場合は、『恋愛』と違って「好き」とか「愛している」といった《心的な関係》はどうでもよくて、ただ「嫌いでなければよい」「一緒に住めればよい」というのが「成立の条件」です。『お見合い』による「デート」で、ここに《心的な関係》を持ち込むのは重大な「ルール違反」です。「手を握る」ことはもちろん、「キスをすること」「性行為をおこなうこと」は「違反行為」になります。
 ついでにいいますと、『恋人紹介』のビジネスがあります。「入会金」を支払って、「男」「女」のそれぞれが「会員」の中から「自分の希望の条件」に合う人を「紹介」してもらって「デート」を重ね、「気に入ったら」、『恋人紹介』の機関に報告して『結婚する』ということを目的にしたビジネスです。
 この『恋人紹介』の機関をとおして「デート」をすることも『お見合い』と本質は同じです。したがって、「手を握ったり、キスをすること、性行為をおこなうこと」は「規約違反」ではないかもしれませんが、「第三者の仲介」が介在しているという点から考えると「社会的な本質のルール違反」にはなるのです。
 このルール違反からは、どういう不都合が生じるのか?といいますと、「電車の中で性行為をおこなう」ことが刑法一七五条違反であるのと同じように、「第三者」に象徴される社会性の世界の関係の中にある規範を逸脱する性格形成に通じていくのです。
 したがって、『結婚紹介の機関』をとおして知り合った「男」と「女」が、仮にデートの中で「性行為」をおこなった場合、その結果、「同棲」なり「結婚」なりをしても、ここには、「男は、女にたいして“社会的な責任”や“道義的な責任”は果たさない」という障害がおこりますし、「女は、男にたいして“緊張”を感じて離人症の関係しか成り立たせられない」という病を感染させる関係の日々を暮らすことになるのです。
 「女」は「男」の言葉や行動にたいして無意識のレベルで「疑い」をもち、「何を考えているのか分からない」という『不安』の中で、不安な関係を継続することになるでしょう。
 これと同じ障害や病理は「ナンパされた女、ナンパした男」どうしの中の《恋愛》の中でも起こります。「ナンパ」とは、必ずしも「通行している女」に「声」をかけてデートに誘い、その日のうちか、数日後に「ホテル」に誘って「性行為」をもつということばかりではありません。
 「大学生や高校生」が「合コン」の中で「デートの相手を物色」して《恋愛関係》へのもちこみを誘って合意し合うことや、「大学生や高校生」の女子が「授業を教える“教師”」の「教室」や「学校内」で一方的に憧れてやがて《性的な対象》として《心的》に決意してアプローチしていくことも、じつは「逆ナンパ」であるのです。
 「サークル」や「教室のクラス・メート」と“対話”して勉強や学的な内容を“媒介”にしてやがてお互いが『恋愛の対象』として了解し合うことは、これは、「生徒どうし」「教師と生徒の間」であっても「ナンパ」ではありません。ここには「性の心的な関係」をお互いに「特定化」し合う《心的な関係》の枠組(対(つい)の関係意識)が設定され合っているからです。
 「ナンパ」および「逆ナンパ」(女性が男を捕捉すること)には、それは「恋愛」ではあっても、ここには共有されるべき《性の心的な関係》は発生しません。ここが最大の違いです。



[2025/08/02 18:20] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子