|  | ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター
 
 ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信
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 日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!
 
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 谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!!
 発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子
 (第1期・324号)
 (令和元年12月22日)
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 こんにちは。ポルソナーレの田原です。きょうも入院中の病院の病室からの配信です。
 
 この12月は、予定では14日㈯、28日㈯がポルソナーレの「自己カウンセリング研究会」の「研究会」の日でした。
 
 田原の11月19日㈫からの突然の脳梗塞による入院のために、「研究会」の実施を延期させて頂いております。ゼミ生の皆様方にはご迷惑をおかけしています。心からのお詫びを申し上げます。
 
 しかし、12月の送信の、黄色版のポルソナーレからのメッセージでもお知らせしているとおり、ポルソナーレの「自己カウンセリング研究会」は健在です。
 
 病室までご足労頂いての面談で、「個人別の研究会」の実施、電話でのコーチング、毎日の配信のニューズレターでの名詞文を書くためのレクチュアー、などで、「ポルソナーレの、指示性のカウンセリングの習得」の個人指導を続行しています。
 
 田原は、あと1ヶ月くらいで、退院の見込みですが、その時の回復の状態を見て、恵比寿までの移動はまだムリならば、鶴見駅の近くの貸し会議室など、適当な場所で「研究会」を再開する予定です。
 
 この12月は、「自己カウンセリング研究会」に移行して11ヶ月目ですが、当初の予想を超えて、どなたもまだ、「自己カウンセリング・・・イコール・名詞文を正しく書くこと」を正確に完成して頂いていない、というのが現実です。
 
 ポルソナーレの田原と、管理事務所の榎本はこの事態を皆さまのために、大変、憂慮しています。
 
 ◎なぜ、名詞文を正しく書いて完成させられないのか?といえば、脳も身体も、自律神経の「副交感神経」が優位に働いているからです。
 
 人間の目、耳、手や足腰、女性の生殖器官、などは「交感神経」が働いて「現実」と関わるのである、という本質を理解できれば、「名詞文が書けない」ことの危機感が背後に迫っていることが見えてくるはずです。
 
 ●「また、スマホ、パソコン、デバィスの端末などの「画面を見ること」は、目の視覚の「感覚の知覚」の交感神経を止める・・・テクノロジーの記憶する「記号による現実」(言葉、画像の作る疑似現実)を副交感神経の目が見る・・・だから、どんな仕事の現実も、人間関係も見えていない・・・ということである、なども自覚することはありません。
 
 もし、スマホ、パソコンなどの「画面」をただぼーっと眺め続けると、「現実が見えない」「人の話が聞こえない」「明日のことも、きのうまでのことも、まったく考えられなくなる」という痴呆症の脳の働き方に変わる・・・この、ポルソナーレだけが説明するカウンセリングにも危機をもっていただけるはずです。
 
 ●どなたも、この年末は忙しいこととは思いますが、しかし、動詞文のつくる進行性の痴呆症に行き着く精神疾患や神経症の増大を理解出来れば、なんといてもこの年の終わりまでには、名詞文を完成させて頂きたいと思っています。
 
 ポルソナーレのゼミでもお話しましたが、日本の知識人は、古代から近代のどの時代でも、動詞文の脳の言語野に成立する唯一の名詞の言葉の「もの」と「こと」を外扱いとして確定して、これを「現実の事実」に一義的に結びつけるという方法で理論や論理を開発してきました。
 
 外扱いの正系は、天皇制の核心の「音読みの漢字・漢語」です。外扱いの異端が、「マルクス主義の経済、政治のイデオロギー」です。
 
 その違いはどこにあったのか?といえば、天皇制の核心の「音読みの漢字・漢語」は現実を反映した「物語」のなかの行動や動きの意味を捉えたのに対して、マルクス主義は、現実を解釈するために演繹させたのです。
 
 演繹はいいとしても、前提のマルクスによる経済学は人間の「身体」を型紙にして解釈している、とはハンナ・アーレントが「人間の条件」(ちくま学芸文庫)で指摘しています。
 
 ◎皆さまが、なにがなんでも名詞文を書けるようになるためんは、名詞の言葉というものの意味から、しっかり考えると有利です。
 
 「もの」ならば、遠くに目で見て、誰が見ても、いつ見ても、変わらない形・姿として見える・・・がその意味です。
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