谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。

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[4848] スマホ、パソコンの「画面」は「聴覚」が見る! 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2018/02/02(金)14:58
[4848-1] スマホ、パソコンの「画面」は「聴覚」が見る! 谷川うさ子 2018/02/02(金)14:57
          人間がものを見る
       のは、「視覚」だけが
       見るのではない。
       「聴覚」も「見る」。
       スマホ、パソコンの
       「画面」は「聴覚」
       だけが見る。
       このことを正しく
       理解できれば、
       人生の大半の
       病気は防げる。


●スマホ、パソコンの画面を「見る」ときの脳の働き方を教えます!

 人間がものを「見る」のは、視覚の働きだとは、長い間、世界の常識になっている。
 どんな専門書にも書いてある。
 だが、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、「人間がものを見るのは目の視覚の働き」という常識を根こそぎひっくり返す。
 「ヘーゲルというドイツの哲学者のことは、誰でもよく知っています。
 このヘーゲルが『精神現象学』(平凡社)の中で言っています。
 『今、見た』といっても、その『今』は、『見た』時点からすでに時間が経過している『今』のことである、と。
 すると、『見る』というのは、視覚の感覚の知覚と、『見たこと』を記憶していて、記憶したイメージを『見た』と言い表していることになるのです」
 (ポルソナーレのカウンセリング・ゼミの説明)
 そこで、欧米人は「見る」ことを時制で言い表すようになった。過去形、現在形、未来形のことだ。
 しかし、日本語には、時制は無い。
 助動詞の「だ」「だった」「だろう」などで、推測や可能、気づきなどを言い表して「現在」「過去」「未来」の代用表現にしている。

●日本人はもともと「現実」を見る能力が無かった。その矛盾が今、爆発している!

 「日本人の心・精神の悩みは、『時制』で言い表わされる現実との関わりが曖昧であることにきっかけがあります。
 中学生の頃のいじめられの経験が20代、30代になっても昨日のことのように思い浮び、このいじめられたイメージが知覚神経に作用して怒りとか悲しみとか恨みの感情をつくり出すので、10年前のことでも昨日のことのように思えるんですよ」
 (ポルソナーレ、カウンセリング・ゼミのレクチュア)

 10年前のいじめでも、告白できなかった恋愛でも、そのイメージは「聴覚」がつくり出すのである。
 ちなみに、「視覚」とは「遠くを見ること」「光や影や色の刺激を受容すること」だ。
 視覚の働きは何か?というと「像」をつくることだ。ただし「視覚だけがつくる像(イメージ)」をつくるのである。視覚だけがつくる像を「ゲシュタルト形態」という。いくつものパターンを像に形づくるのである。

●なぜ、日本人は、ウソでもデタラメでも、人が聞いていようといまいと、ひたすらしゃべりたがるのか?

 人間には、目があるので、脳の働きは「視覚の働き」から始まるのである。
 人間は、自分が「見たこと」や「見ていないこと」でも言葉にしてしゃべらずにはいられないのを特性にしている。
 本当のことも、嘘のことも、病気のことも、自分の欲のこともとにかくしゃべらずにはいられないのが人間なのである。このしゃべるというのは、「右脳・虚像」に思い浮んだイメージが「言葉」になるのである。
 「人間というのは、しゃべらずにはいられないことを脳の働き方の特質にしているのです。
 本当のことも、嘘のことも、知的に正しいことも、強迫観念のことも、内容が良くても悪くても、デタラメでも本当でも、そういうことはどうでもよくて、ただひたすらしゃべることをつくるのが『聴覚』なのです」
 (ポルソナーレのカウンセリング・ゼミのレクチュア)
 脳の働き方から見ると、「視覚」が見たゲシュタルト形態の像を、「聴覚」が「どれを見るのか」「どのように見るのか」「何を見るのか」を選んで、特化して、それに集中して「見る」ことを行う。

[4848-2] 谷川うさ子 2018/02/02(金)14:58
   ●人間がものを見るのは、聴覚が見たものを「見た」と了解するのである

 このときの「聴覚のイメージ」は、『右脳・虚像』に思い浮ぶ。表象するというのである。
 『右脳・虚像』は「聴覚」がつくるイメージを思い浮べる。

 『右脳・虚像』は、「聴覚」がつくる像(イメージ)を思い浮べる。
 聴覚はゲシュタルト形態の内容の像を思い浮べる。『左脳』の「言葉」「言語」とつなげれば「言葉。言語の意味」になる。「意味」とは国語辞典に書かれている「意味」と同じことである。「言葉の意味」のことだ。
 だから、「目で見る」ことの脳の部位の「右脳・実像」の「視覚の感覚の知覚」の「見ること」にも影響と作用を及ぼす。
 こういう不思議なしくみは自律神経の働きによるのだ。
 「見る」(視覚)は交感神経(散瞳)、「見た」(聴覚)は副交感神経(縮瞳)というものだ。視覚と聴覚は相互関係をもっている。「共時性」という。

●あなたは、この脳の中の「聴覚」の働き方と、そのしくみを理解できるか?

 人間の脳は、「イメージ」をつくることを特質にしている。
 かくべつ「視覚」だけが「イメージ」をつくり出すのではない。
 視覚は視覚のイメージ(像)をつくる。聴覚は、視覚にくっつくときは「像」(イメージ)をつくり、「聴覚」だけが単独で働くときは「形象・記号、文字、数字」のイメージをつくるのである。

●スマホ、パソコンの画面は、あなたを廃棄物に変え、やがて廃人にする。そのメカニズムを説明する

 さて、「スマホ」「パソコン」の「画面を見る」についてだ。
 何ごとも、理論と知識が無ければ、事態は悪くなる一方だ。それが人間社会を生きる法則である。
 「スマホ」「パソコン」の画面は、一見すると目の視覚(感覚の知覚)だけが「見る」をおこなっていると思われている。
 しかし、それは、「高所恐怖症」「閉所恐怖症」を見ても分かるとおり、「高い所から下を見る」「狭い部屋から部屋の外を想像する」ことの恐怖の内容の「現実」にたいしての「視覚の知覚」の働き方のことだ。「高所恐怖症」の「地上を見る」ことが遮断されれば「高所」も快楽の場に変わる。
 それが「スマホ見ながら歩き」だ。
 会話のときも「スマホ画面を見る」ことだ。家の中でパソコンを立ち上げて一日中、トイレ、食事、入浴以外、は快楽園に変わった「画面」を「見ること」だ。
 これは、「視覚」の機能(媒体という)を借りて、「聴覚」が「右脳・虚像」に表象させた像(イメージ)のとおりの内容を「画面」に見ている。
 「画面」は「聴覚」がつくった像(形象)のイメージに見合うものを供給元から「情報通信」のサーヴィス綱を通して届けさせているのだ。
 「視覚」(ゲシュタルト形態)が働いていないので、極楽に変わった「高所」(屋上)の中で快楽のドーパミンで『右脳・虚像』をバラ色の光景に変える。

●ここでレクチュアしていることが、理解できるかどうかが、「ゴミ人間」「廃人」の分岐点

 サラリーマン(働いている人)は、「スマホ」「パソコン」を「見ながら生活」を行う。「バーチャル高所恐怖」は「バーチャル高所快楽所」に一変する。「バーチャル精神病棟」と同義だ。
 やがてニート状態(休職とか)に陥る。すると「右脳・虚像」は「バーチャル閉所恐怖症」(バーチャル強制快楽園収容所)に変わり、これを「スマホ」「パソコン」の画面に見るのである。「自分」を「廃棄物」から「廃人」に変えるのである。


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[2024/11/01 08:52] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子