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人間がものを見る のは、「視覚」だけが 見るのではない。 「聴覚」も「見る」。 スマホ、パソコンの 「画面」は「聴覚」 だけが見る。 このことを正しく 理解できれば、 人生の大半の 病気は防げる。
●スマホ、パソコンの画面を「見る」ときの脳の働き方を教えます!
人間がものを「見る」のは、視覚の働きだとは、長い間、世界の常識になっている。 どんな専門書にも書いてある。 だが、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、「人間がものを見るのは目の視覚の働き」という常識を根こそぎひっくり返す。 「ヘーゲルというドイツの哲学者のことは、誰でもよく知っています。 このヘーゲルが『精神現象学』(平凡社)の中で言っています。 『今、見た』といっても、その『今』は、『見た』時点からすでに時間が経過している『今』のことである、と。 すると、『見る』というのは、視覚の感覚の知覚と、『見たこと』を記憶していて、記憶したイメージを『見た』と言い表していることになるのです」 (ポルソナーレのカウンセリング・ゼミの説明) そこで、欧米人は「見る」ことを時制で言い表すようになった。過去形、現在形、未来形のことだ。 しかし、日本語には、時制は無い。 助動詞の「だ」「だった」「だろう」などで、推測や可能、気づきなどを言い表して「現在」「過去」「未来」の代用表現にしている。
●日本人はもともと「現実」を見る能力が無かった。その矛盾が今、爆発している!
「日本人の心・精神の悩みは、『時制』で言い表わされる現実との関わりが曖昧であることにきっかけがあります。 中学生の頃のいじめられの経験が20代、30代になっても昨日のことのように思い浮び、このいじめられたイメージが知覚神経に作用して怒りとか悲しみとか恨みの感情をつくり出すので、10年前のことでも昨日のことのように思えるんですよ」 (ポルソナーレ、カウンセリング・ゼミのレクチュア)
10年前のいじめでも、告白できなかった恋愛でも、そのイメージは「聴覚」がつくり出すのである。 ちなみに、「視覚」とは「遠くを見ること」「光や影や色の刺激を受容すること」だ。 視覚の働きは何か?というと「像」をつくることだ。ただし「視覚だけがつくる像(イメージ)」をつくるのである。視覚だけがつくる像を「ゲシュタルト形態」という。いくつものパターンを像に形づくるのである。
●なぜ、日本人は、ウソでもデタラメでも、人が聞いていようといまいと、ひたすらしゃべりたがるのか?
人間には、目があるので、脳の働きは「視覚の働き」から始まるのである。 人間は、自分が「見たこと」や「見ていないこと」でも言葉にしてしゃべらずにはいられないのを特性にしている。 本当のことも、嘘のことも、病気のことも、自分の欲のこともとにかくしゃべらずにはいられないのが人間なのである。このしゃべるというのは、「右脳・虚像」に思い浮んだイメージが「言葉」になるのである。 「人間というのは、しゃべらずにはいられないことを脳の働き方の特質にしているのです。 本当のことも、嘘のことも、知的に正しいことも、強迫観念のことも、内容が良くても悪くても、デタラメでも本当でも、そういうことはどうでもよくて、ただひたすらしゃべることをつくるのが『聴覚』なのです」 (ポルソナーレのカウンセリング・ゼミのレクチュア) 脳の働き方から見ると、「視覚」が見たゲシュタルト形態の像を、「聴覚」が「どれを見るのか」「どのように見るのか」「何を見るのか」を選んで、特化して、それに集中して「見る」ことを行う。 |