谷川うさ子の「今日の一言」掲示板
この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。
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谷川うさ子
2015/09/15(火)13:58
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ある女性の話だ。中学生の女の子がいる。この女性の子どもだ。
母親である女性が、あれこれと生活のこととか人間関係のことを説明して、教える。しかし、中学生の女の子は、母親の言うことを聞かない。いちいち否定する。「ちがうよ」「まちがっているよ」と言い返すのだという。
「なぜそんなことを言うの?」と問うと、「ツイッターで言っていたよ」。
インターネットの「情報」が正しいのか?間違っているのか?が問題であるのではない。日常の中の人間関係や社会的な関係が壊れていることが問題になる。この中学生は母親に対して「尊大」にふるまい「イバり」、「見下し」ている。テクノロジーに依存している。すっかり従属している。
人間の目と耳は別々の場所にあるが、脳の中では隣接していて、共時して働いている。
「右脳・実像」(目の視覚の感覚と知覚の二つの働きをつくる)の中で、「客観の部位」をテクノロジーが占領すると、人間の「左脳の言語野」の「聴覚野」(左脳・側頭葉)もテクノロジーに占領される。
すると、ごくふつうの言葉のもつ決まりごと、言葉で言い表すルール、言葉のもつ社会性が聞こえなくなる。
完全に止まるのだ。
社会生活、人間としての共同や共生の生活を生きていくことはむずかしくなる。
駅のコンコースの人混みの中をスマホを持ち歩いて、見ながら歩くのを止めたくない人とは、そういう人のことだ。
前置きのつもりの説明が長くなったが、ここからが本題だ。
パソコン、スマホ、デバイスなどの画面(ディスプレー)への依存というテクノロジー依存と全く同じ脳の働き方をおこなうのが、仕事、学校の勉強の中の「聞き書き」である。
「聞き書き」とは、説明する人の話を「せっせ、せっせとノートに書き取ること」だ。パソコンとかデバイスにせっせ、せっせと入力しつつ聞く人もいる。
「ものを見る」という眼と自律神経の交感神経は働いていない。「ノート」「パソコン、デバイスの画面」だけを見る。
「眼」は「副交感神経優位」になる。
ここでは、眼の交感神経がつくるゲシュタルト形態原理の認知は止まる。
「目で見る」という「感覚」のみが働いている。
目の働きの「認知」という内容は、積極的に放置されて、拒否されている。
日本語は、已然と未然にもとづいて文を構文とする。これは、「外扱い」「内扱い」をつくる。
外扱いとは「貴様」「御前」を「尊い方」「神様の御前」と、共同の規範として扱い、言い表すことだ。
内扱いとは、「貴様」をキサマ、このヤロウ、キサマ、ともともとの正しい秩序をガチャガチャに好きなように壊すことだ。
「御前」をオメエ、オマエ、テメエ、オメエって奴、と同じように自分の欲にもとづいて適当に作り変える。
この壊した意味のとおりに「言い表す」「行動する」ことだ。
自分の好きなようにつくり変えて憶えて、これを言葉にして、行動にもあらわす。
「行動」が成功することもある。試験に合格する、などだ。多少失敗しても仕事は成り立つ。
すると管理職になることもある。内扱いの尊大でイバり、押しつけるから有能な管理職のようにも見える。
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内 容
ある女性の話だ。中学生の女の子がいる。この女性の子どもだ。 母親である女性が、あれこれと生活のこととか人間関係のことを説明して、教える。しかし、中学生の女の子は、母親の言うことを聞かない。いちいち否定する。「ちがうよ」「まちがっているよ」と言い返すのだという。 「なぜそんなことを言うの?」と問うと、「ツイッターで言っていたよ」。 インターネットの「情報」が正しいのか?間違っているのか?が問題であるのではない。日常の中の人間関係や社会的な関係が壊れていることが問題になる。この中学生は母親に対して「尊大」にふるまい「イバり」、「見下し」ている。テクノロジーに依存している。すっかり従属している。 人間の目と耳は別々の場所にあるが、脳の中では隣接していて、共時して働いている。 「右脳・実像」(目の視覚の感覚と知覚の二つの働きをつくる)の中で、「客観の部位」をテクノロジーが占領すると、人間の「左脳の言語野」の「聴覚野」(左脳・側頭葉)もテクノロジーに占領される。 すると、ごくふつうの言葉のもつ決まりごと、言葉で言い表すルール、言葉のもつ社会性が聞こえなくなる。 完全に止まるのだ。 社会生活、人間としての共同や共生の生活を生きていくことはむずかしくなる。 駅のコンコースの人混みの中をスマホを持ち歩いて、見ながら歩くのを止めたくない人とは、そういう人のことだ。 前置きのつもりの説明が長くなったが、ここからが本題だ。 パソコン、スマホ、デバイスなどの画面(ディスプレー)への依存というテクノロジー依存と全く同じ脳の働き方をおこなうのが、仕事、学校の勉強の中の「聞き書き」である。 「聞き書き」とは、説明する人の話を「せっせ、せっせとノートに書き取ること」だ。パソコンとかデバイスにせっせ、せっせと入力しつつ聞く人もいる。 「ものを見る」という眼と自律神経の交感神経は働いていない。「ノート」「パソコン、デバイスの画面」だけを見る。 「眼」は「副交感神経優位」になる。 ここでは、眼の交感神経がつくるゲシュタルト形態原理の認知は止まる。 「目で見る」という「感覚」のみが働いている。 目の働きの「認知」という内容は、積極的に放置されて、拒否されている。 日本語は、已然と未然にもとづいて文を構文とする。これは、「外扱い」「内扱い」をつくる。 外扱いとは「貴様」「御前」を「尊い方」「神様の御前」と、共同の規範として扱い、言い表すことだ。 内扱いとは、「貴様」をキサマ、このヤロウ、キサマ、ともともとの正しい秩序をガチャガチャに好きなように壊すことだ。 「御前」をオメエ、オマエ、テメエ、オメエって奴、と同じように自分の欲にもとづいて適当に作り変える。 この壊した意味のとおりに「言い表す」「行動する」ことだ。 自分の好きなようにつくり変えて憶えて、これを言葉にして、行動にもあらわす。 「行動」が成功することもある。試験に合格する、などだ。多少失敗しても仕事は成り立つ。 すると管理職になることもある。内扱いの尊大でイバり、押しつけるから有能な管理職のようにも見える。
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